『プリミティヴィスムとプリミティヴィズム』 大久保恭子著 (三元社・2940円)

『プリミティヴィスムとプリミティヴィズム』 大久保恭子著 (三元社・2940円)
微妙。通常はそう言って通り過ぎる。ところが、一度引っ掛かると気になって仕方ない。そんな些細(ささい)な違いに出くわすことがある。
「ス」か「ズ」か。本書の著者はこの違いで長らく考え込むことになった。フランス語のプリミティヴィスムと英語のプリミティヴィズム。見た目の類似とは異なり、両者には「決定的な乖離(かいり)が潜んでい」ると感じたからである。
こうした議論をする場合、語彙(ごい)だけを追って経緯をたどると話が分かりにくくなる。以前、私自身が「前衛」「アヴァンギャルド」といった用語の違いに取り組んだ経験から自戒を込めてそう言える。
だがそんな心配は杞憂(きゆう)である。本書は具体的な絵画を中心にして議論を進めている。それもいきなり裸婦像から。
少々面食らったが、実は私が「プリミティフ」の系譜を理解していなかっただけのこと。それは元来14、15世紀のイタリア、フランドルの芸術家を指し、エジプト、ギリシャを指す19世紀後半を経て、20世紀にようやくアフリカを対象とするようになったのだという。マチスの裸婦像と紀元前の豊饒(ほうじょう)女神との関連が話題になるのもある意味当然なのである。
原初のエネルギーにあやかろうとする姿勢は、文化的アイデンティティーの不安と深く関わっている。本書が注目したのはこの点である。ゴーギャンの場合も、「彼がペルー人の血を引くフランス人であったこと」がタヒチ移住の重要な契機であったと指摘している。
アイデンティティーの問題はアメリカの場合も同様。しかし、フランスの場合とは決定的に異なる点がある。それは「プリミティヴィズム」が伝統なきモダン・アートに「歴史を与える」観念として登場した点である。「プリミティヴィスム」が「伝統の活性化を願って」の過去に対する憧憬(しょうけい)であったのとは対照的な関係にある。
では日本の場合はどうか。昭和モダンの最盛期にはやはりアフリカへの興味が増大する。これはどちらの影響が強いのか。いやどちらも一緒に入ってきたのか。自分の関心に引きつけるとこのような疑問もわいてくる。
だがこれは本書の範囲を超えてしまう。いつか自分で考えてみようと思う。言葉をめぐる主導権争いは、一つのボールを奪い合うスポーツ競技の様相を呈する。争奪の対象となったボールのことも考えながら読んでみたい一冊。
=2009/11/08付 西日本新聞朝刊=
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