『おサルの系譜学』 富山太佳夫 著 (みすず書房・3990円)

『おサルの系譜学』 富山太佳夫 著 (みすず書房・3990円)
最近「アイアイ」をよく歌う。子供を抱っこして、メロディーの流れる絵本を見ながら。
絵本に描かれているのは、当然かわいい子供の猿。今回の本もかわいいおサルさんかと思ったのだが、そうではなかった。表紙には期待と異なる挿絵が登場する。
ここでの「おサル」は大人の人間と変わらない。ほぼオランウータンである。しかも、その顔がダーウィンだったり、フランケンシュタインだったり、オスカー・ワイルドだったりする。
いったい何のための挿絵なのか。なぜそんな挿絵が流通したのか。疑問が生じるのは自然の道理。こうした疑問に答えるべく、本書は「歴史と人種」という鍵で、19世紀のイギリスへと扉を開く。
「黒人奴隷とサルとアイルランド人」。これら3者が違和感なく結びついた帝国の歴史。著者はイギリスをこうした視点でとらえる。というより、当時の資料をたどれば自(おの)ずと見える歴史が、どうして見えなくなるのかを問題にする。
1870年代に「発明」された拒食症という概念が、中流家庭子女の階級問題に結びつく。ルイス・キャロルの動物解剖に対する関心が、当時のイギリスにおける教育問題に発展する。下層労働者の排除が、オリンピックの思想と対になる。さらに話題はエコロジーやフリーターにまで広がる。
20世紀に移ってヴァージニア・ウルフの歴史感覚が論じられる。さらには、ロシアの現代推理作家ボリス・アクーニンが描く「多言語的な」19世紀の可能性も議論される。
はたまたセリーヌとユダヤ人問題や、フォークナー小説にみられる「多民族の共存と差別の遍在」へ。華麗な現代批評家として知られるスーザン・ソンタグの歴史に対する思考へと、話題は尽きない。
著者が「雑学」と謙遜(けんそん)する世界の裾野(すその)は広大、底は測り知れない。圧倒されるばかりなのだが、知らない街の路地裏を案内してもらうワクワク感がそこかしこにある。イギリス文学を専門としない私も、つい著者の後を追ってしまう。
この本は研究書、専門書として扱うのが常識であろう。しかし、私は一種の探求書だと思っている。「まず問題自体を立てることが必要なのである」(247ページ)。こうした姿勢が視野の広さを確保させるのか。知的好奇心のある方は迷わず手にとって読んでほしい。何かしらの発見があるはずである。
=2010/03/07付 西日本新聞朝刊=
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