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九州・山口の産業遺産・近代化遺産

長崎県 産業遺産

「軍艦島を世界遺産にする会」理事長 坂本道徳さん 炭鉱の島をなぜ保存したいのか 近代化の記憶を後世に(07/06/15)

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 1974年の炭鉱閉山後、廃虚と化した長崎市の端島(通称・軍艦島)。特定非営利活動法人(NPO法人)「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長は2003年に会を設立後、九州・山口の近代化産業遺産の保存に取り組むグループとも連携し、世界遺産への登録を目指す活動に取り組んでいる。なぜ世界遺産登録を目指すのか。そもそも軍艦島の魅力とは何か。その思いを聞いた。

 (長崎総局・染矢尭志)

 ‐「世界遺産にする会」をつくったのは、炭鉱閉山で島を離れてから29年もたってからのこと。何がきっかけだったのか。

 「炭鉱が閉山してから25年後の45歳のとき、長崎市で中学校の同窓会があり、その際に同級生と一緒に島を訪れると、自分の家がそのまま残っていた。家の中には高校時代に使っていた教科書やボールペンがあった。通った学校も周囲の住宅もそのまま。島がまるでタイムカプセルだった。その後も何度か島を訪れるうちに、島への愛着が増してきて、この島を何とか残したいと思うようになった」

 ‐端島は、その形が軍艦に似ているということで軍艦島と呼ばれるようになったと聞いている。さて、その島の魅力とは。

 「明治時代から戦争を挟んで戦後の高度経済成長期にかけて、小国の日本が世界トップレベルの経済大国に上り詰めた。その原点が炭鉱であり、製鉄であり、その最先端の技術が端島に集まっていた。日本で初めて建てられた鉄筋高層アパートをはじめ、今もその姿をとどめている。近代工業史上、極めて貴重だ」

 ‐島民はどんな暮らしをしていたのか。

 「南北480メートル、東西160メートルの小さな島に最盛期は5000人が住んでいた。人口密度でみると、当時の東京の9倍に当たる。道路を造るスペースもなく、高層アパートが連なり、島民はアパートの屋上に土を運び草木を植え、子どもたちの遊び場を造った。エレベーターがなくても高齢者や幼い子どもが笑顔で暮らすことができた。そうした島の記録、記憶を残すことが大切だと思う」

 ‐九州・山口の近代化産業群として連携して世界遺産を目指す理由は。

 「九州・山口は日本の近代産業の成長に大きく貢献した。幕末期に薩摩藩が製鉄と機械工場を設けた集成館(鹿児島市)もそうだし、八幡製鉄所東田第一高炉(北九州市)もそうだ。歴史的価値と保存の必要性を訴えるためにも、ほかの九州・山口の近代化産業遺産と一緒にアピールすることが必要だ。世界遺産の登録にかかわる国際産業遺産保存委員会のスチュアート・スミス事務局長も『炭鉱の島1つだけの世界遺産なら難しい』と話している」

 ‐長崎市は、端島を観光客誘致の新たな拠点ととらえ、本年度予算に遊歩道などの整備費約1億500万円を計上した。

 「もの珍しさの観光だけで終わったら、価値はない。近代の歴史を学ぶという観点での整備が必要だ。私たちもシンポジウムなどの活動を重ね、情報をもっと発信したい。炭鉱がどういうものなのかを知らない若者も増えている。100年、200年後に島が残っているかどうか分からないが、だからこそ島の歴史を伝えなければならないと思う」

     ◇

 ▼さかもと・みちのり 1954年福岡県生まれ。小学6年のときに炭鉱に勤務する父の仕事の関係で端島に転居。長崎県立高島高校卒。20歳のとき上京しコンピューター関係の会社に勤務。82年長崎市に戻り、現在はパソコン教室などを経営。道徳の名から「どうとくさん」の通称で呼ばれる。

=2007/06/15付 西日本新聞朝刊=

2007年06月15日16時11分

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