

端島の「負」の歴史が並ぶ「岡まさはる記念長崎平和資料館」=長崎市西坂町
「軍艦島ではない。あの島は、地獄島だった」
長崎市内の古いアパートに暮らす、徐正雨(ソジヨンウ)さん(72)はつぶやいた。
終戦直前の1943年、端島には、強制連行された朝鮮人約500人、中国人約240人が働いていた。徐さんは数少ない生き証人の1人だ。
「14歳でした」
終戦間際に、韓国慶尚南道から連行され、300人の仲間と一緒にやってきた端島。
「仕事を休めばリンチされ、働くと言うまで殴られた。泳いで逃げた多くの仲間はおぼれ死んだ。私も海に飛び込んで死のうと思った」
5カ月後、長崎市の造船所へ移され、8月9日、被爆。強制連行と原爆が体をむしばみ、20年近く続けてきた修学旅行生への語り部活動は、3年も途絶えている。
「私が死んだら、端島の歴史をだれが伝えてくれる。本当の歴史を若い人に伝えたい。体さえいうことをきけば…」
外出もままならないほど弱った体で、声をふりしぼった。
駅に程近い「岡まさはる記念長崎平和資料館」(長崎市西坂町)。展示資料にこんな言葉がある。
「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼ケ島」
多くの朝鮮・中国人たちは、長崎の3つの炭鉱の劣悪な労働環境をそう言って恐れた。離島炭鉱の「負」の歴史だ。
「最近、修学旅行のコースに端島を入れたい、という相談も多い」
同館の運営に携わる柴田利明さん(49)=長崎市=は、要望に応じて、船を借り、島の周囲をめぐる。父親は端島への水の運搬船に乗っていた。
「連行の実態はまだ解明されていない。島で死んだ朝鮮・中国人137人という数も、15年前に分かったのです」
資料を発掘したのは、牧師だった岡氏(故人)ら実態を追及する市民だった。岡氏の遺志を継ぐ、高実康稔・長崎大教授らは今年3月、端島の所有企業に対し、強制連行者の名簿公開などを求めた。が、回答は「確認できない」だった。
高実さんはいう。
「歴史を直視しようとせず、このまま逃げ切れると思ってる。やろうと思えばできる調査なのに。企業も国も何も変わっちゃいないんです」