
20年近く昔となると、たいていの記憶はおぼろになる。それでも端島(軍艦島)に一人渡ったことだけは、不思議によく憶えている。その理由は、こわかったから。実際、こわかった。
島に渡してくれた小さな漁船とは、帰りの時間も(当然のことだが)しっかり約束した。船長は「今日は風が強くなるかもしれん」と言い残して戻っていった。確かにこの日は関東方面に台風が接近していた。迎えは大丈夫かと、上陸早々から心細いことだった。
廃虚の島というけれど、建物は人が住まなくなって、すぐに死に絶えはしない。緩慢な時の経過の中で死に向かっていく。あの時、島はまだいのちがあった。
学校の中には奇妙なささやき声が満ちている。強い海風を受け何かがきしんでいるのか。廊下を歩くと、後ろから足音がついてくる。社宅の障子を開けると、ていねいにたたんだ布団が目に飛び込む。
誰かがいる。物陰から、通りの角から、男や女が突然現れる。それを打ち消すことはできない。なぜなら無人というのは、街を形づくるような空間では絶対に証明しようのない状態なのだから。
孤独とか一人ぼっちとか、人はよく口にする。半ば、あこがれをまじえながら。しかし、実際のところ一人にはなりようがないのだ。死ぬ時だけが一人なのかもしれない。
島でのこわさは、そんな経験したことのない「一人」の状態に、思いがけず突き落とされたためだったのだろう。もっとも、ただ生まれつき臆病者だっただけなのかもしれないが。
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島に渡ったのは、記者としての取材ではなかった。若手のY記者に勧められ、休みの日にカメラを手に「一度行ってみるか」という程度の気持ちだったと思う。撮影したネガを整理しているうちに、Y記者が文章を添えようということになり新聞連載になった。カメラの腕はさて置き、情のこもったストーリーになったと思う。
カメラはペンタックス、28ミリのほか200ミリまでのズームだったと記憶している。大半は広角で対応した。当時は今のようにカラーばかりの時代と違って、まだモノクロが一般的にも健在だった。端島(軍艦島)は、光と影の世界だ。被写体自体が持つ異常な迫力は、モノクロでなければ切り取ることはできないと今でも思っている。(念のためだが、現在は建物の風化が進んでいるので、単独行動はかなり危険だろう)
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この時から17年余り。今なにやら廃虚ブームとか。異常な空間は確かに非日常のあやしい魅力がある。ただ、この島には歴史がある。炭を掘る男や、かあちゃん、子供たちの記憶が残され、強制連行された朝鮮人、中国人たちの恨声もまた、この島に封じ込められている。廃虚は死に絶えているわけではないと思う。
撮影行から随分時間が経ち、紅顔のY記者は中年になり、私はもっととしを取った。朽ちていく島とともに、わが身も時の流れの中に風化したか。インターネット時代に蘇った連載を改めて眺めながら、感慨にふける。 (K.S)
(『光と影と・軍艦島探訪』の当時の記者が、今回のために書き下ろして下さいました)