
喧噪が消えたいま、ようやく立ち現れる歴史の影
「端島 その後の20年」は空白の20年である。様々な事がらは、そこに人が住み、生活と生産が営まれて、初めて記録として書きとどめられる。かつて、三菱の有力炭鉱として新鋭を誇った採炭設備が荒れ果てていき、桟橋も台風のたびに海中に崩れ落ちていったとしても、顧みる人も、また知るすべもない。過去の歴史がよみがえることがなければ、空白の歳月のなかに、端島は異形の姿を朽ち果てさせていったことだろう。端島が属する長崎県西彼杵郡高島町の町史は、こう記している。
以後、端島の記録はない。
三菱はこう記している。
「”軍艦島”から総員退艦したのは、三か月後の4月15日であった」(『高島炭砿史』三菱鉱業セメント株式会社、1989年)
「なにもありませんね。最近では、台風にやられた島の護岸工事を92年にやったことぐらいでしょうか。放置すれば、島そのものが、なくなってしまいますのでね。私たちにとって、最大の出来事は、やはり閉山なのです」
少年時代を端島ですごした高島町職員は、そう語る。国費、県費による無人の島の護岸は無用とも映るが、事業としては「国土保全」である。

端島は死んだとはいえ、端島を経営していた三菱の本体会社はなお生き延び、端島から海を隔てた高島で採炭が続いていた。その高島も端島と同じ足取りをたどった。
86年春、「石炭産業存続」の町民総決起大会。閉山阻止行動に立ち上がる労組。坑底座り込み、ハンスト、全面スト。同年11月27日付けで閉山決定。年明け早々、労組書記長の自殺。
「高島炭砿は、当社はもとより三菱全体の飛躍の源泉になったばかりでなく、ひいては近代日本産業の発展に大きく貢献した」(前出『高島炭砿史』)
端島を含む高島炭砿は、ここに完全に消滅したのだが、高島閉山を巡るヤマの男たちの怒号も、また悲嘆のうめきも、無人の端島には無縁のことだった。
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端島の「空白」はしかし、意図的に覆われた空白だった。
91年10月、次いで92年6月、一団の韓国人が端島の土を踏んだ。強制連行などでこの島で働かされ、死亡した朝鮮人労務者の遺族たちである。廃虚の凄絶に息をのみ、島の土をたたいて泣いた。
さらに閉山20年を目の前にした93年12月、ソウルのテレビマンらが端島の取材に訪れた。端島にとって、これら半島の人々を迎えたのは、閉山後はもちろん終戦以来、初めてのことだ。
92年に訪れた遺族5人は、いまだ手にすることのない、彼らの肉親の遺骨の返還、そして死亡状況を知りたいという、ささやか過ぎる求めを胸にしていたが、ともに成果はなかった。
彼ら遺族の父や祖父たちは、どのようにしてこの孤島にやって来、どのように働き、どのような死を迎えたのだろうか。
記録された端島の歴史、あるいは戦後日本の公式の記録から、その事実を知ることは不可能なことだ。
原爆による長崎、広島市民の死亡者、つまり自国民の死についてさえ、日本政府は永く不誠実であり、不完全な調査しか行っていない。他国の人々に、どうして光を当てようとするだろう。
端島の空白が突然はがされたのは、終戦から40年の歳月を経た86年8月のことだ。
牧師で元長崎市議の岡正治氏が代表を務める「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」によって、大量の資料が発見された。
それは、1925年から1945年までの20年間、端島で死亡した日本人、朝鮮人、中国人の死亡診断書、火葬認許証下附申請書である。死亡は朝鮮人122人、中国人15人。(死亡者には炭鉱労務者などの成人だけでなく、乳幼児、死産の胎児も含まれる)
端島などで朝鮮人、中国人が働かされていたことは知られていたが、この資料は、その暗部を白日にさらした。

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強制連行、酷使・虐待、死亡、ある者は原爆被爆、さらに被爆後の差別。戦後日本は何重もの不実を朝鮮人、中国人の上に積み重ねている。端島はその舞台の一つだ。
朝鮮人122人、中国人15人の死を突き止め、さらにそれの持つ意味を解き明かしたのは、岡氏らの執念である。
話し始めると止まらない、ときに色気のジョークもはさむ74歳の行動派牧師は、65年から長崎県内の朝鮮人被爆者の実態調査を始め、81年から82年、82年から83年、87年から91年の都合3回、会員と共に「靴をすり切らせた」調査を行った。
その結果、終戦直前、1943年の時点で坑内労働者などとして端島にいた朝鮮人は500人、中国人は240人という事実が明らかになった。
ここで把握した全朝鮮人の足跡と、死亡診断書、火葬認許証下附申請書を重ね合わせるとき、端島の朝鮮人の労働と死の実態が浮かび上がってくる。
調査は、日本人と比較し彼らの死亡率が次第に高まり、終戦直前つまり「総力戦」期を迎えると共に朝鮮人、中国人の死亡率が日本人を上回っていること、 朝鮮人は窒息、圧死など事故死が極めて多いこと(63人)、虐待によると思われる死因や、島を逃れようとして力尽きたとみられる溺死(4人)が含まれていることなどを明らかにしている。
全容と言えぬまでも、韓国の遺族たちは、これで初めて肉親の死のすがたを知った。
岡牧師は言う。「調査が目的じゃない。政府はこの調査を認め、彼らに償えということだ」。