山口県 産業遺産
徳利窯(とっくりがま)
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| 修復工事が終わった徳利窯 |
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| 屋根が架けられた徳利窯 |
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| 木樽製造に用いた樽組み立て搾り機 |
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| 1968年頃の徳利窯周辺 |
現存最古のセメント焼成炉
小野田は、笠井順八(注1)が1881(明治14)年、国内初の民間セメント会社を創設して以来、セメントの町として発展してきた。煉瓦(れんが)造の歴史的な工場群、幹部用の社宅などの近代建築が残るほか、町中には「セメント町商店街」もあり、まさにセメントの産業遺産を随所に抱えた町なのである。
このセメント製造の原点とも言うべき重要な遺産がある。それが、このセメント焼成用竪窯(たてがま)だ。口のすぼまっている酒徳利(とつくり)によく似ていることから、「徳利窯」と呼ばれてきた。この工場では、過去12基が設置され、連続して立ち並ぶ姿は町のシンボルだった。が、時代とともに製法が変わり、窯は次第に廃れていった。
現存する窯は1893(明治26)年に築造された七号窯といわれていた。しかし、2000年の発掘調査の結果、1―7号窯の遺構が確認され、今も残る窯は創業時に設けられた4基のうちの1基だということが判明した。
この窯は、四角い高焼成部分と、その上に立つ曲面の煙突部分からなる煉瓦の構造物だ。高さは、焚口(たきぐち)の底部より約18メートルに達し、地上からは15メートルある。約12万5000個の煉瓦を積み上げ、内部の火袋は耐火性のある白煉瓦で覆われている。
窯の中央部に斜めにぐるりと積まれた煉瓦は、装飾と思っていたが、下部を屋根で覆っていた時の取り付け部分の名残だった。近年、保存のために当時の工場の屋根を模した上屋が架けられ、煙突上部だけが屋根から突き出ている。全体が見えていた昔の方が、徳利のイメージがストレートに伝わると思うのだが、これがオリジナルの姿だと言われれば仕方がない。
この種のセメント竪窯は、全国でこの1基しか現存していない。国内で最も古い部類の工業製品製造に関する記念碑として、窯は2004年、国の重要文化財に指定された。周辺は県指定史跡で、現在は小さな公園として整備されている。
当時は、出来上がったセメントを木樽(きだる)に詰めて販売していた。徳利釜の周辺には、木樽を製造した機械も残されている。現在、木樽を模した地元の銘菓「せめんだる」という最中(もなか)がある。出来たてのぱりっとした皮と粒あんが絶品だ。(山口近代建築研究会・瀬口哲義)
(注1)1835―1919年。萩生まれ。藩の財政担当職や県勧業局に勤めた後、東京でセメント製造法を学んだ。1881年に旧西須恵村(現・山陽小野田市)に「セメント製造会社」を創立し、初代社長に就任した。道路、石炭、かんがい事業など、近代小野田発展の基盤を築いた。旧小野田市名誉市民第1号。
=06/10/02西日本新聞朝刊山口版掲載=
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