「青い目」が語る戦争の記憶を本に 八女の椎窓さん [福岡県]

「ペッギィちゃんの戦争と平和」に目を通す椎窓猛さん
「ペッギィちゃんの戦争と平和」に目を通す椎窓猛さん
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 今から90年前に友好の証しとして米国から日本の学校に贈られた「青い目の人形」。その後、太平洋戦争中に軍部に処分を命じられながら、ひそかに生き延びた県内の3体の物語を、八女市矢部村の詩人、椎窓猛さん(87)が「ペッギィちゃんの戦争と平和」という一冊の本にまとめた。当時の教員たちの機転で保存された経緯を描いた。「戦争の記憶が風化する中、語り継いでいってほしい」。椎窓さんは願っている。

 「青い目の人形」は、日本で宣教師の経験があるシドニー・ギューリック氏が、1920年代に米国で起きた日本人移民への排斥運動に心を痛め、約1万2千体を全国の小学校や幼稚園などに贈った。

 太平洋戦争が始まり、「敵性人形」として焼かれるなど多くが処分される中、教職員が隠し通すなど、全国で約300体が残った。県内ではペッギィ(嘉麻市立嘉穂小)、シュリー(久留米市立城島小)、ルース(糸島市立可也小)の3体が確認されている。

 椎窓さんは2013年、新設される嘉穂小の校歌の作詞に携わり、前身の旧大隈小に保存されていたペッギィの存在を知った。児童の歓迎を受け小学校に寄贈されたこと、処分を指示されながら「始末した」と軍に報告して教師が持ち帰ったこと…。心を動かされ、執筆を決めた。その後、県内で他に2体が残っていることも分かり、当時を知る学校関係者から聞き取りし、椎窓さんがつづる物語と関係者の文章でつなぐ構成にした。

 かつて小学校の教壇に立ち、旧矢部村の教育長を務めた椎窓さん。「人形に込められた国と国とが仲良くしようという思いは普遍的なもの。戦時中の暗い雰囲気の中で、当時の先生の判断は勇敢だった」と話す。

 戦争は椎窓さんの人生にも大きく関わった。福岡第一師範学校の学生だった太平洋戦争末期、学徒動員として旧陸軍大刀洗飛行場に駆り出された。米軍機の機銃掃射を受け、九死に一生を得たこともあったという。「戦争は大義名分があったとしても人殺し。やってはいけない」。物語に込めたメッセージを語る。

 本はA4判変型64ページで1500円(税別)。県内の書店で販売中。

=2017/08/16付 西日本新聞朝刊=

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