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香春岳 信介を待つ母なる山 特集・おかえり信介しゃん(2) [福岡県]

1958(昭和33)年の香春岳。手前が一ノ岳(二郎丸弘さん撮影)
1958(昭和33)年の香春岳。手前が一ノ岳(二郎丸弘さん撮影)
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現在の香春岳。石灰石の採掘で削られた一ノ岳の奥に、二ノ岳、三ノ岳の山頂が見える
現在の香春岳。石灰石の採掘で削られた一ノ岳の奥に、二ノ岳、三ノ岳の山頂が見える
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 「香春岳は異様な山である。けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ」(五木寛之「青春の門」より)

 「香春岳は異様な山である」。大切にしたであろう冒頭(プロローグ)の一文に、五木寛之さんは香春岳を選んだ。

 飯塚から烏尾峠を越えると、台形の山が目に飛び込む。一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と続く香春岳。491メートルの標高があった一ノ岳だが、現在は約250メートル。石灰石の採掘のため中腹から、ほぼ一直線に削り取られている。

 《その山肌に傷ついたような白い裂け目があり、そこが朝日の色に赤く染まって、なまなましく輝いていたのを彼ははっきりとおぼえている

 現在の一ノ岳には、朝日を照らし返すような斜面はもちろん残っていない。

 五木さんは中学生だった1940年代に、出身の福岡県八女市から筑豊まで茶の行商に訪れている。一ノ岳の採掘は35年から。山肌の白い裂け目が生々しく輝く様子を、確かに目にしたに違いない。

 香春町で生まれ育った団体職員の桃坂豊さん(56)は「わが身を削って町を支えてくれる姿は、まるで親のよう。香春岳とともに生きている」と言う。続く採掘で次第に小さくなる一ノ岳。「母なる山」という言葉があるが、この山はそういう温かさがある一方で、「衰えゆく親」を連想させる。だからこそ極めて異様、異質なのだ。

 「青春の門はね、最初、香春岳を背景に織江と信介という二人の子供の四季を書くつもりだったんです。僕としては筑豊篇だけで終わるつもりだった」。五木さんは83年の本紙インタビューにこう答えていた。

 29歳の信介が古里に戻り、何を思うのか。香春岳にどう語り掛けるのか。完結に向け動きだす青春の門。「異様な山」は、今よりも大きく、若い姿で信介を待つ。

 第3回「炭鉱住宅 『生活』『連帯の歓び』の中心」

=2017/01/01付 西日本新聞朝刊(筑豊版新年号)=

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