福岡大空襲72年、火の海忘れない 天神と冷泉公園で平和願う 博多区の千代小で平和学習 [福岡県]

福岡市戦没者合同追悼式で戦没者らに手を合わせる参列者
福岡市戦没者合同追悼式で戦没者らに手を合わせる参列者
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平和学習で「焼夷弾の音を思い出す花火大会には今でも行かない」と話す中富鉄也さん
平和学習で「焼夷弾の音を思い出す花火大会には今でも行かない」と話す中富鉄也さん
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 太平洋戦争末期、米軍の焼夷(しょうい)弾投下で福岡市街が焼け野原となり、2000人以上の死傷者、行方不明者を出した福岡大空襲から19日で72年を迎えた。市内各地で追悼式や平和学習などがあり、参列者や子どもたちが平和への思いを新たにした。

 中央区天神の市民会館では、市戦没者合同追悼式(市主催)があり、遺族など約400人が参列した。福岡大空襲の犠牲者を含む戦没者を追悼し、不戦を誓い、黙とうをささげた。

 高島宗一郎市長は式辞で「72年前、空襲で福岡が火の海になり、多くの人が犠牲になった。悲しい歴史を忘れず、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐ」と述べた。

 献花台に花を手向けた東区の今林忠男さん(76)は、父親が1945年5月に戦死した。当時4歳だったが、父の顔は覚えているという。「父に『今は孫と一緒に元気に生きている』と報告し、花を供えた。日本が戦争のない国であり続けてほしい」と話した。

 博多区の冷泉公園では、市社会福祉協議会主催の「市戦災引揚死没者追悼式」があり、汗ばむ陽気の中、遺族79人を含む約270人が参列。黙とうをささげ、献花台に白菊を手向けた。

 遺族代表の安武悌二郎さん(80)は「戦争の悲惨さを風化させることなく、後世に語り継ぎたい」と追悼の言葉を述べ、博多小6年の柳原咲太郎君(11)は「戦争では日常生活の全てを失う。当たり前にある幸せな毎日を大切にしたい」と平和を願う作文を朗読した。

 65年の第1回追悼式から毎年欠かさず出席しているという松尾きよさん(96)=中央区=は「追悼式ではいつも、大空襲で亡くなった人たちを思い、心の中で泣いている」と犠牲者をしのんだ。

   ◇    ◇

 博多区の千代小(福田裕校長、181人)では平和学習があり、3~6年の児童たちが各学級で、校区に住む70、80代の「語り部」の戦争体験をそれぞれ聞いた。

 6年1組の教室では、当時5歳だった中富鉄也さん(77)が「あの夜」を語った。母親に背負われて逃げる途中、ヒューと風を切る音に続き、すさまじい爆発音がした記憶は今も鮮明に残る。「焼夷(しょうい)弾が20も30もまとまって落ちてきて怖かった。みんなが不幸になる戦争は二度としないでほしい」と語った。6年の富岡里莉さん(11)は「戦争で憎しみを超えた悲しみを受けたことが心に残った」。

 千代小ではここ数年、地域の空襲体験者を招いて平和学習を実施している。体験者の高齢化が進んでいることから、千代校区老人クラブ連合会(福井良一連合会長)では空襲時にまだ幼かった70代に「語り部」活動への参加を呼び掛けている。生後6カ月で経験した空襲について、母親から聞いた話を交えて語った吉田千恵子さん(72)は「戦後の貧しさは知っているので、(自由に)勉強でき、食べられることは幸せだということを伝えていきたい」と話した。

=2017/06/20付 西日本新聞朝刊=

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