西日本新聞電子版 1周年記念プレゼント

【花宗川の詩 八女筑後大木大川】(11)材木店 家具産業を支え150年

昭和初期、筑後川から花宗川に引き込まれた木材のイカダ(大川市提供)
昭和初期、筑後川から花宗川に引き込まれた木材のイカダ(大川市提供)
写真を見る
花宗川を見つめる近藤敏郎会長(右)と真一郎社長
花宗川を見つめる近藤敏郎会長(右)と真一郎社長
写真を見る

 筑後平野をゆっくりと流れ、大川市の河口まで到達した花宗川。九州一の大河、筑後川の力強い流れと対をなす、ゆるやかな流れこそが大川市の木材産業を生み、育んだ。

 かつては一日中、製材所のチェーンソーの音が響き渡っていたという同市の小保(こぼ)・榎津(えのきづ)地区。「子どもの頃は、花宗川にイカダを引き入れる人、解体する人、木材を製材所に引き上げる人、たくさんの人が川で働いていました」。1865(慶応元)年創業で、今も川沿いに本社がある近藤材木店5代目、近藤敏郎会長(77)が往時のにぎわいを教えてくれた。

 大分県日田地方で伐採されたスギやヒノキなどは、イカダに組まれ筑後川を下って大川へと運ばれた。江戸時代の天保年間(1831~45)に始まったとされ、大川に着いたイカダは流れのゆるやかな花宗川に引き込まれ、材木の貯留所に集められた。クレーンなどの重機がない時代には、重たい木材を陸に引き上げるため干満の差を利用したという。

 材木が集積することで、さまざまな産業が生まれた。その一つが大川家具。明治期に花開き、1955年には西日本物産展で大川調の「引き手なしたんす」が最高賞を受賞した。

 だが、その頃を境に木工のまちに変化が起きる。イカダ流しは、夜明ダム(うきは市、大分県日田市)の着工で筑後川が分断され1952年に姿を消した。輸送の主力はトラックに代わり木材の搬出も広域化。最盛期には約10社あった川沿いの材木店も、同社を含め4社にまで減った。

 大川家具もやがて低迷期に入る。主力だった婚礼家具が生活スタイルの変化とともに衰退し、バブル経済の崩壊が追い打ちを掛けた。

 苦境の中、2012年に近藤材木店の6代目として経営を引き継いだのが近藤真一郎社長(45)だ。「長い歴史があって自分がいる。ちょっとやそっとじゃ負けられないですよ」と力を込める。木工業者の後継者などで組織する大川木材青壮年会で19年間活動。市内の小学校での植樹や木工教室など、木の魅力を伝えることに力を注いできた。

 近年、大川家具はモダンインテリアへの商品転換が進み、ネット販売などを通じ元気を取り戻しつつある。真一郎社長は「特色ある木材提供で新しい流れに乗りたい」と前を向く。

 今年7月の九州豪雨。筑後川上流部の山間部で発生した大量の流木で被害が拡大した。国内林業の低迷による山の荒廃が原因と指摘される。かつて上流部と大川は「一心同体」だった。花宗川が生んだ「木のまち大川」はこの課題にどう向き合うのか。その先に新しい時代が待っている。

=2017/10/17付 西日本新聞朝刊=

→電子版1周年記念!1万円分賞品券やQUOカードが当たる!!

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]