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【花宗川の詩 八女筑後大木大川】記者ノート 歴史や文化に注目を

雨に煙る花宗川の河口
雨に煙る花宗川の河口
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花宗川の完成を祝い田中忠政が寄進したと伝わる水田天満宮の石造明神鳥居
花宗川の完成を祝い田中忠政が寄進したと伝わる水田天満宮の石造明神鳥居
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 花宗川流域を歩き終え、真っ先に向かったのは流域から少し離れた筑後市の水田天満宮だった。参道太鼓橋前に石造の大鳥居が立つ。銘には「寄進 慶長十九年十一月」(1614年)と刻まれている。江戸時代初期に筑後全体を統治していた田中忠政が花宗川完成を祝い寄進したといわれる。高さ約4・5メートル、幅約6・3メートルの立派な造りで、いかに大事業であったかが伝わってくる。

 今も昔も、生活に水は欠かせない。いくら広大な平野があろうと、潤す水がなければ不毛の地のままだ。立花宗茂が着手し、田中吉政、忠政親子の手によって八女市から大川市までつながった全長約23キロ、流域面積約63平方キロの小さな川は、現在も筑後南部の農地約3772ヘクタールを潤す大きな恵みとなっている。

 安定した水が得られたことで、米と麦の二毛作が可能となり、イグサも大規模に栽培されるようになった。小麦から作るうどんや郷土料理のおやつ「ごろし」は、今でも筑後南部の食文化として親しまれている。

 貴重な水は、上流部と下流部の間で水利慣行を生んだ。花宗川では、春先のまだ耕作が始まらず水が必要でない時期に上流側(八女市、筑後市)の取水口を閉め、水を下流側(大木町、大川市)に流し、掘割(クリーク)に貯水する。江戸時代から続く「春水通水」と呼ばれる慣行で、水争いを防ぐ先人の知恵だろう。

 川は景観もつくる。広大な農地をゆっくりと流れる川は坂本繁二郎も愛した筑後の農村の原風景をつくり、下流のヨシ原は古代日本の姿を今に伝える。

 花宗川の生みの親、立花宗茂をめぐっては、妻の〓(ぎん)千代とともに、主人公にしたNHK大河ドラマができないか招致運動が始まっている。宗茂とともに、その貴重な遺産である花宗川の歴史や文化が注目されるなら、これほどうれしいことはない。

 ※本文中の〓は「もんがまえ」に「言」

=2017/10/18付 西日本新聞朝刊=

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