益城、笑顔の奥に不安なお 福岡市のボランティア同行ルポ 熊本地震1年

表通りから住宅街に足を踏み入れると、解体を待つ崩れたままの家屋が残る=3月31日午後、益城町
表通りから住宅街に足を踏み入れると、解体を待つ崩れたままの家屋が残る=3月31日午後、益城町
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プレハブづくりの仮設食堂を慰問し、面識のある被災者と話し込む吉水恵介さん(写真右奥)
プレハブづくりの仮設食堂を慰問し、面識のある被災者と話し込む吉水恵介さん(写真右奥)
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 ガタン、ガタン。無数の亀裂を舗装した跡が残る路上を、大型トラックが鈍い音を立てて走る。沿道のプレハブで、住民たちは遠方からの顔なじみを笑顔で出迎えた。熊本県益城町に、熊本地震発生直後から毎週、支援に訪れる福岡市のボランティア団体「夢サークル」代表吉水恵介さん(60)に同行した。「いつもありがとうねえ」。明るい声色の奥底に、失った暮らしを取り戻せない焦りもにじんだ。

 がれきが撤去された更地に、修理されたばかりの石垣が目立つ。3月31日、益城町の中心部、木山地区。「吉水さん、まんじゅう食べていかんね」。快活な声を響かせたのはまんじゅう店「九ちゃん万十」の松原恵美さん(47)。半壊した店舗の改修を吉水さんらが手伝い、昨年10月末、営業を再開した。

 「調子はどう」(吉水さん)。「元気しとるよ。おかげさまで」(松原さん)。吉水さんが「ここのまんじゅうはおいしいけ、俺も食べ過ぎて10キロ太ったとよ」と目を細める。

 復旧が進むにつれ、力仕事を中心としたボランティアは一段落。吉水さんは今、仮設の店舗や住宅を一軒一軒、訪ね歩いている。時には1時間以上、座り込んで話す。

 路上で吉水さんに会釈し、手を上げた男性がいた。40代で7人家族。狭い仮設住宅には入らず、全壊判定の自宅で今も暮らしているという。「仮設以外で生活していると、支援物資は回ってこん。役場の情報も、よく聞き取れん防災無線で流れてるだけ」。困り顔でこぼす。

 なじみの食堂に到着。プレハブの壁は薄く、暖房がかかっていても肌寒い。食堂を経営する70代男性の自宅は、中心部を走る幹線道路「県道熊本高森線」沿い。町の復興計画で拡幅が予定され、いずれ所有地からの立ち退きを余儀なくされる。現在はテント暮らしだが「土地をいくらで買ってくれるとか、具体的な話がない。役場の窓口で聞くと、『今なら新築を建てる許可が出せる』と言われた」と憤る。「出て行かないといけない土地に家を建てろと言うのか」

 街中には新築が決まり、地鎮祭を行う所も。一方で幹線道路から住宅街へ足を踏み入れれば、重機が入れず解体できない家屋や、陥没して波打ったままのアスファルトが残る。本当に町が、支援や復興に主体的に取り組んでいるのか。慣れない生活が長引くにつれ「住民の間では微妙な空気も流れ始めている」(ある町議)-。

 東北などでも被災地支援の経験がある吉水さんは「被災者はぎりぎりの生活を送り、不安や不満を募らせている。話し相手となるのもボランティアのあり方だ」と言う。仮設住宅で交流イベントも企画し、精神的なケアにも努める。

 「1回顔を出すだけでは心を開いてもらえない。ボランティアの数はかなり減ったが、まだまだ支え手が必要なんです」

 日が落ちると、足元に散らばるがれきは全く見えない。傾いた電柱の遠くに、信号機の明かりだけがぼんやり浮かんでいた。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=

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