地獄から再起 奇跡の湯 南阿蘇村の温泉「清風荘」 3兄弟 地震、豪雨に負けず 1年ぶりにファンを招待




熊本県南阿蘇村の地獄温泉「清風荘」は昨年、まさに地獄を見た。4月に熊本地震、6月には豪雨に見舞われ、建物は傷み、宿に通じる道が閉ざされた。阿蘇山麓で200年を超す歴史を紡ぐ古湯の危機。全国の「地獄ファン」はインターネットなどを通じ再開を待つ熱い声を送る。17日、宿を営む3兄弟は地震後初めて、ファンを1日限りで招待。ほどよい温度で湧く源泉にそのまま入れる「奇跡の湯」は健在だった。
午前10時。小雨が降る山麓に、東京、京都、福岡などから男女十数人が集まった。温泉へ続く登山道は地震後ずっと通行止め。特別に許可をもらい、土砂崩れの跡を見ながら車で山道を登る。約20分。かつて宿泊者を癒やした旅館は、土のにおいに包まれていた。
一行は、明治中期に建てられた本館の前に立った。長男で社長の河津誠さん(54)は「地震後はまだ使える状態でしたが…」と説明した。昨年6月の豪雨で土石流が押し寄せ、全館が泥だらけに。ボランティア延べ3千人が泥を撤去してくれたという。「壊して建て直すほうが安いんですけどね」。歴史ある建物は残し、再建を目指す方針だ。
清掃のためところどころ床板が剥がされた廊下を歩いて2階へ。福岡県筑紫野市の片峰美幸さん(52)は「地震の1年前に、この部屋に泊まったんですよ」と周囲を見渡した。
客室の壁板がめくれ、竹で組んだ土壁は明治期の建築様式を伝える。「こういうのを見ると諦められないんです」。誠さんの口調に力がこもる。代々守ってきた歴史を感じることが、再生への力になるという。甚大な被害の中で、泥湯で知られる露天風呂「すずめの湯」だけが生き残った。沸かしたり、冷ましたりする必要がない適温の湯が湧くため「奇跡の湯」と呼ばれていた。
「こんなに新鮮な湯は他にない」と温泉ソムリエの杉本達則さん(51)。東京から年に5、6回通っていたファンで、地震直後にフェイスブックに「地獄温泉復興ファンクラブ」のページを作った。3千人超が日々の情報発信を目にしている。地震から1年。豊富な湯が湧き続けるすずめの湯にも異変がある。湯温が上下するなど「機嫌が悪い」と誠さんは表現する。
参加者は特別に水着で入浴した。副社長の次男謙二さん(53)が湯船の底にたまったねずみ色の泥を差し出すと、北九州市の常連男性は顔に塗り「これが最高」。福岡市の女性は「地獄から一気に天国ね」と笑った。「久しぶりに皆さんに入ってもらい、湯も喜んでおります」と誠さん。風で散った桜の花びらが湯船を彩ると、歓声が上がった。
一行は下山後、村内の昼食会場へ。専務の三男進さん(51)が振る舞う山菜料理に参加者はうなった。「温泉と、この味。何年かかっても再開を待つよ」
=2017/04/22付 西日本新聞夕刊=