講師紹介

【福岡・福岡市】
片山 純子(かたやま・じゅんこ)
ワーカーズ・ごみ問題研究会代表

得意分野:

20070419katayama.jpg■プロフィル
出身地:長崎県出身。
生年:1948年
現住所:福岡市南区

〈主な履歴〉
1990年:「ワーカーズ・ごみ問題研究会」を設立、代表に就任し現在に至る。
1997年:「環境省・環境カウンセラー」の資格を取得し現在に至る。
1998年:「環境管理システム研究会」に参加。
2004年:「NPO法人環境管理システム研修会」の理事に就任し現在に至る。

○活動を始めて17年、当初は子育てに追われ、現在は老親介護の毎日に変わった。しかし、ごみ問題を追究する気持ちは、今も昔も変わらない。
○ごみの出前講座は500回を越える。自治体、企業、学校、市民団体の依頼に応え、最新情報を交えて現場の声を届け続けている。
○現場こそ原点である。現場で出会った人々こそ“師”である。
○金銭の支援は、どこからも受けない。そして、現場を重視するには、少なくとも移動
経費がかかる。よって、私の出前講座は有料である。

〈著書〉
環境管理システム研究会
共著「環境自治体ハンドブック」(西日本新聞社)

〈トレードマーク〉
ごみ猫
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ごみ問題から見る「食卓の向こう側」

20070419_0.jpg私が家庭を持って以来、ゼロを目指しながらも出している“ごみ袋”の、足取りを追いはじめて17年になる。台所を預かる女性たちで小さな会を結成し、“できることは何でもやってみる”を合言葉に活動をはじめたのが、1990年なのだ。
それ以来、真夜中のごみ収集の現場を目の当たりにして胸が痛み、ごみ焼却場に集まるパッカー車の台数に、ごみの多さをあらためて思い知った。その先には、焼却灰や燃えないごみを埋める最終処分場もあった。ここに立って、初めてごみ問題の“入り口”と“出口”を認識する事ができた。
また、各地で問題になっている不法投棄の現場も歩いた。「豊島(テシマ)事件」の現場となった香川県の豊島をはじめ、岐阜市椿洞(ツバキボラ)、和歌山県橋本市、千葉県海上(ウナカミ)町(現・旭市)、愛知県瀬戸市、三重県海山(ミヤマ)町(現・紀北町)、京都市伏見区、ほか九州各地の現場も数多く見てきた。いずれも、田んぼや畑、果樹園や茶畑といった「生産の場」と隣り合わせの悲惨な現場であった。


1.豊島事件に学ぶ

「豊島事件」は、同島出身の業者が、有害産業廃棄物処理業の許可を香川県に申請し、不法行為に手を染めた1975年に始まり、2000年6月6日に、住民が遅すぎた勝利を手にするまででも、約25年の長きにわたった壮絶な闘いを指す。

20070419_1_1.jpg県が許可した施設では、当時の知事をはじめとする県職員の弱腰を良いことに、シュレッダーダスト、廃油、正体不明のドラム缶などの不法投棄と野焼きが連日続き、陸の幸、海の幸豊かな島であった豊島は、一転、有害物に汚染された“ごみの島”と化した。

地元住民は、個人的な補償要求にとどまらず、兵庫県警が摘発に乗り出すまで、業者寄りの姿勢を正そうとしなかった“香川県の謝罪”と、「子や孫に負の遺産を残してはならない」という強い願いに基づく“不法投棄被害地全体の原状回復”の2点をよりどころとして、齢を重ねるごとにつらさを増す長い闘いを闘った。思い半ばにこの世を去った隣人の面影も、残った人々の支えだったという。煙による健康被害に苦しみ、ミカン栽培、ハマチ養殖などへの風評被害に泣きながら耐え、闘った島の25年を想像できるだろうか。

20070419_1_2.jpg私は1998年に初めて島を訪れ、不法投棄の現場から染み出す真っ黒な水(浸出水)が瀬戸内海に流れ出しているのを目撃した。2000年の公害調停による“県の謝罪”を機に対策工事が始まり、現場は雨水よけのビニールシートに覆われている。しかし、ごみ山から染み出す真っ黒い浸出水は、今も不気味な泡と異臭を放ち、許されても近づきがたい立ち入り禁止区域となったままだ。

一方、原状回復は現在、隣の直島の銅精錬工場に併設したガス化溶融炉で、ダイオキシン類の処理が始まっているが、有害なごみ山が完全に撤去されるには、約10年を要するという。周囲からは一件落着と見なされがちな中、あのよき日の豊島の再来に望みをつなぐ日々が続いているわけだ。「ごみ山が完全に撤去される日が、豊島事件の終わりの日」と決意する島の人びとにも、高齢化の波は押し寄せる。豊島の教訓を即座に活かさなければ、島の人々の苦労に報いることは出来ない。そのためにも私は、旅費を工面し豊島行きを続けたいと考える。

20070419_1_3.jpgこの豊島事件では、その処理コストに500億円もの国民の税金が投入されたことも、しっかりと記憶に留めておきたい。国が定める廃棄物処理法の改正や罰則の強化は実現したのだが、法の隙間を狙った不法投棄はいまも続く。ごみにしない“入り口”の問題対策が、後手にまわっている証拠である。

2.「生ごみ」は、燃やしますか、堆肥にしますか。

平成の大合併で昨年、福岡県朝倉市に統合された旧・朝倉町では、1983年から「高速堆肥センター」で“生ごみ”は堆肥化されていた。この堆肥は、1キロ180円で販売され、順番待ちでしか手に入らない人気商品であった。水分の多い“生ごみ”を“燃えるごみ”として処理する「焼却場」建設の負担を考えれば、土に戻す堆肥化の施設を選択するのは当然であったと考えられる。ところが、合併前から進められていたごみ処理の広域化の中で、“生ごみ”が“燃えるごみ”に分類され、多額の税金で建設された「大型ごみ処理施設」で“ごみ”として処分される運命に変わった。その結果、堆肥化の道は閉ざされてしまったのだ。実にもったいない話ではないか。
20070419_3.jpg一方、福岡県大木町では、昨年末に“生ごみ”を堆肥化する施設「くるるん」を完成させた。その大木町も、ごみ処理を他市町村に依存している点では旧朝倉町と同じであったが、生ごみ堆肥化の夢を永年かけて実現させた。この二つの町の選択は、実に対照的であり、その町の思惑がはっきり読み取られる出来事だ。ごみ処理は、「固有の事務」として各自治体の判断に任せられている。しかし、施設ありきの議論が先行すると “循環のしくみづくり”が後退し、循環の根を絶つといった場面も多々あることを知ってほしい。


3.“生ごみ”は食べ方を映す。

 生ごみの組成分析をあらためて見てみよう。生ごみの分析を永年手がけた石川県立大学の高月紘教授が、京都大学環境保全センター教授時代に調査した結果(1997年)では、「調理クズ52.8%」、「残飯35.7%」、『食品外11.5%』と報告されている。食べ残しの中でもっとも留意すべきは、賞味期限切れ等の理由で捨てられる「手付かず食品」である。全体の13.4%を占める、この「手付かず食品」は、まさに“もったいない”存在である。また、「残飯による食生活の損失=11.1兆円は、農業・水産業の総生産額=12.4兆円にほぼ相当する」驚きの数値を示すという。この大いなる無駄について高月教授は、「リサイクルも重要であるが、“生ごみそのものを減らす”努力こそ重要な考え方」と注意を促している。高度な研究成果を優しい語り口で解説なさるこの高月先生、ペンネームをハイ・ムーン(高い月!)と称し、マンガ『絵コロジー』の筆者としても全国的に知られている。

4.各省庁の言い分。

循環型社会の構想を実現する戦略として、環境省は「3Rイニシアティブ」(リデュース:発生抑制、リユース:再使用、リサイクル:再生利用)、農水省は「バイオマス・ニッポン」を、それぞれが掲げてPRを展開している。これに対し資源エネルギー庁では、「廃棄物発電」を、太陽光発電、風力発電、バイオマス発電と同等に「新エネルギー」と位置づけている。ごみを「焼却」または、「溶融」することを、エネルギー政策に適ったものとして推奨し、「スーパーごみ発電」と称する大型のごみ処理施設の建設を進める。この施設には、大量のごみが、事実上の“燃料”として必要なため、ごみの分別や堆肥化による「ごみ減量」はなじまない。せいぜい、「ごみ袋の有料化」による減量を打ち出すしかない始末だ。

この矛盾の中で個人の努力をあてにしているようでは、ごみの本質論を避けているとしか思えない。誰もが安心して“参加できるしくみ”こそ、循環型社会実現の基本であり、国の責務だと思う。一刻も早く、目指す未来をきっぱりと示してほしいと切望している。

5.出前講座について

 “ごみ問題”は、「命の基」である「土」「水」「食べもの」と直結し
たテーマだと理解している。先に述べたように、不法投棄の向こうには「生産の場」の汚染があり、大量リサイクルの先にも、最終処分場が必要と気づいた。これからは、廃棄物となる「ごみ問題の“出口”」とは別に、生産の段階という「ごみ問題の“入り口”」に光を当て、本来の循環のしくみを構築したいと考えている。
私の出前講座は、ごみ問題の基本をはじめ、各地の不法投棄の現場やリサイクル先進地の写真をふんだんに使い、「“分かる”ごみ雑学考座」を心がけている。

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