2010年7月15日

むすび庵便り・八尋幸隆<5>感性 研修生に教えられ

赤トンボの舞う夕焼け空もまた、田んぼがあればこその風景だ

 「いやあ、いいっすねー」。わが家の農業研修生のK君が、西の空を見つめながらこうつぶやきました。「何? どうしたの」。促されて見た先には、夕焼けに染まった空に乱舞するトンボ。それを見つめる彼の目には、涙が浮かんでいるようにも見えます。

 この日の作業は、テープや糸、かかしなどを配置して、実り始めた稲穂を守る「スズメ追い」。捕まえるわけではないので、スズメはまたどこかの田んぼで何かしら食べることになるだけなのですが、作業を一通り終えたあと、彼の発案で私たちは夕暮れの田んぼのあぜで茶話会をすることにしました。彼がひいてくれた豆でいい香りのコーヒーを飲みながら、あぜに寝転がって空を眺めるのです。ただそれだけのことなのですが、彼にとっては、かけがえの無い空間と時間だということでした。

 私のところはいわゆる都市近郊農業ですので、カレンダーにあしらわれた写真に見るような、遮るものがない一面の夕焼けというのではありません。立ち並ぶ家々のすき間から夕焼け空が見えるといった感じ。それでも彼の言うとおりにしてみると、私もまた、かけがえのない貴重な風景だと思いました。

 「そのものの大切さは、それが無くなったときに分かる」といわれますが、私たちは「当たり前」と思っているうちにたくさんのものを無くしてしまっている。というより無くしたことすら気付いていない。トンボの99%が田んぼで生まれるように、感動の夕日もまた、残されたわずかな水田があればこその「当たり前」の風景だった-。

 長いこと百姓をしているとだんだん感覚がまひしてしまい、感動・感激が少なくなります。でも私の場合、研修生の新鮮な感性に触れることで、自分自身が百姓を始めたころの初心に帰ることができるのです。

 ところで、わが家にK君のような百姓志願者が訪ねてくるようになったのは15年ほど前から。農家出身もいますが、大半は非農家出身。なぜ、そうなるのか、最初は私も全く理由がわかりませんでした。特別に募集しているわけでもないけど、「何か分からんけどよかたい」と受け入れ始めたら、これまで途切れることもなく続いています。

 最近はわが家の収容能力を超え、心ならずも待ってもらう事態にもなっています。ひょっとして私の指導が評判を呼んでいるのかなと思いましたが、それはどうも考え過ぎのようです。

 慶応大を卒業後、佐賀市三瀬村で新規就農した元研修生のT君によれば、「自分が研修していたころより、はるかに研修希望者が多い」。いつまで続くか分かりませんが、彼らはいったい何を求めてやってくるのでしょうか。次回、もっと掘り下げます。 (福岡県筑紫野市「むすび庵」庵主)

=2010/04/18付 西日本新聞朝刊=

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