2010年7月15日

むすび庵便り・八尋幸隆<7>「ばっかり食」 旬をいただく喜び

玄米ごはんに、自分の畑でとれた旬の食べ物が並ぶ八尋家の昼食

 「あのー、わたし本当のこと言うと、毎日の食事が楽しみで研修してるんですぅー」。私の前で堂々と本音を暴露した研修生がいました。他の研修生も彼女がそう言うのを止めようとしなかったところをみると皆そう思っているようです。

 わが家では、家族の数より研修生の方が多いことも珍しくないので食事の準備はひと仕事。こちらは妻と母に頼りきりですが、農業研修の受け入れは食事の支度ができるか否かにかかっていると言っても過言ではありません。高齢の母にとっては少々負担でしょうが、そう言われるとやりがいもあろうというものです。

 もちろん、わが家の食事が豪華なものであるはずもありません。季節の野菜を中心にした「旬の料理」。そう言えば聞こえはいいのですが、いろいろ工夫はするものの、要するにいつも同じ素材で作る「ばっかり食」なので飽きても不思議ではありません。

 でも彼らはそれがいいと言う。何より自分たちが育て、さっきまで畑にあったものが今この食卓に並んでいる。そんな当たり前のことに感激するのです。

 食べ物は、それができている所や作っている人のことが思い浮かぶときにこそ、最もおいしい。彼らの食欲は玄米菜食の王道からは少し外れているものの、旬をいただく喜びに満ちあふれています。

 その食べっぷりを見ていると、いつの間にか私たちは、体ではなく頭で食べる習慣がついてしまっていることに気付きます。食育が声高に叫ばれてはいるものの、これはどのくらい栄養があるか、どういう機能性があるか、生産履歴で「安全」は保証されているのか-。現代人の多くは、そんなことを先に考えてしまい、かえって食べる喜びから遠ざかっているのではないでしょうか。

 食について確固たるものがないから、ちょっとした情報に右往左往してしまう。マスコミ情報でブームとなった健康食品といわれるものが、どれだけ現れ、消えていったことでしょう。

 これを食べれば病気になる、あるいは健康になる。そうした目でしか食べ物のことを考えず、栄養を足すことしか考えないから、そうなるのだと思います。でも、引いて初めて見えることもある。「食べない食育」。すなわち断食です。

 私もときどき、研修生と4―5食抜くミニ断食をやりますが、その折々の恵みをいただくことのありがたさや、命のつながりをより実感することができます。

 断食をやって数日後。食事のとき、「こんなおいしいものをいただいて、もし病気になっても後悔しないよね」と私が言うと、当時まだ学生だった研修生のS君はウン、ウンとうなずきながら黙々と食べ続けていました。 (福岡県筑紫野市「むすび庵」庵主)

=2010/05/02付 西日本新聞朝刊=

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