2010年5月12日

【豊後水道 奮闘記(村松一也)】<9>活き粋船団(3)

催事場で試食した客に話しかける村松一也さん

3年目で黒字を達成

 「なんで、うちに営業にこんの?」。一番の目標だったデパートから、電話でこう言われてビックリ。すぐ打ち合わせに行くと、「まずは、催事販売から」っち言われたけど「催事ってなん?」。それ以外にも上代(売値)とか、下代(卸値)とか、初めて聞く言葉がどんどん出ちくる。

 いちいち聞くのも面倒じゃったき、いつもん調子で「やります」っちゅうて、たいした準備もせんで売り場に向かった。

 商品を並べ、売り場に立つわしに、バイヤーが「何か言わんの?」。「なんち言えばいいん?」っち聞いたら、「いらっしゃいませじゃろ!」。いやあ驚いた。おいしいもんを並べちょったら買ってくれるもんと思い込んじょったからの。

 通り過ぎるお客さんになかなか「いらっしゃいませ」が言えず、商品説明、セールストークなどは皆無。今では笑い話じゃが、当時はそんなありさまでした。

 一方、このころから、船団員が売り場に立ったり加工場に入ったりすることに難色を示し始めた。「成功するまでは、無給で当たり前じゃ」と考えちょったわしには直接言わんかったけど、仲間内では「ボランティアじゃ参加できん」ちゅう船団員もおった。無給で参加してくれる仲間も影響を受け、船団は「手を出さん人ほど口を出す」状態になったんじゃ。

 お互い言い分はあるが、要は船団長のわしがしっかりしちょらんけんいけんち思うた。それから本当になりふり構わず、ありとあらゆることにチャレンジ。料理修業しちょったわしの次男も引っ張り込み、商談会や有名デパートでの実演・催事販売などで全国を飛び回るうち、少しは名前も知られるようになった。

 1年目は1千万円の赤字。2年目も2200万円を売り上げたが赤字。だが3年目は4500万円を売り上げ、短期の黒字決算までこぎ着けた。ただ、利益率は他の水産加工場に比べてまだまだ低いし、稼働率や生産原価に対する販売単価など、課題は山積みじゃ。

 それに船団設立の目的は、魚をたくさん食べちもらうことにある。そのためには、生産者一人一人が「誰がお金を払ってくれよるんか?」っちゅうことを真剣に考え、消費者に感謝するところからやり直さんと、魚離れに歯止めはかけられんち思います。

 振り返るには早いけど、船団の活動を通じて一番変わったんはわしやと思う。「売る」ちゅう言葉が「買ってもらう」になり、お客さんに心から「ありがとうございました」が言えるようになったんじゃから。
 「1次産業も6次化(1次×2次×3次)せい」ちゅう話もよく聞くけど、生半可な気持ちじゃできんことが、わかってくれたらうれしいど。
 (「かまえ直送活(い)き粋(いき)船団」代表)

=2009/10/11付 西日本新聞朝刊=

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