西日本新聞

2010年05月10日

【書評】杉のきた道


■本のタイトル:杉のきた道
■著者:遠山富太郎
■出版社:中公新書
■出版年:1976年

 私の名刺は杉皮和紙の台紙を使っている。数年前のこと、東京出張の際に名刺交換をしていると、クンクンとやった後に、「花粉症ですが大丈夫でしょうか」と訊かれたことがあった。日々杉に触れ、森林を育くむことを生業とする私は衝撃を受けた。街に住む人にとって杉から連想されるのは、もはや花粉症でしかないのか。まもなくブログで『杉の文化研究所』を旗揚げしたが、そのとき林学のバイブルともいわれる本著を紹介してもらった。本著を読まないままに、杉を語っていたそれまでの自分が悔やまれた。

 著者遠山富太郎は1910年京都生まれ。京大演習林に勤務後、晩年島根大学名誉教授となった育林学の大家で、論旨は明快そのもの。“日本が独自の木の文化を誇ってきたというなら、それは「スギの文化」であったからというべきであろう”。
 スギは、日本人の始まりの時に存在し、文化の曙に貢献し、少々の利用伐採には耐え、後には植栽で資源存続ができる優れた更新特性を持っていた。また、柱や桁など棒状で使えるだけでなく、割いて板にもとれる稀な樹木であったのである。

 本著によると、近世の江戸が世界唯一の百万都市となりえたのはスギの賜物だという。糞尿が農業生産の下肥として使われたのも、杉桶で回収され、杉板製の高瀬舟で水田へと運搬する経済行為が成立したからであり、同時に、都市の環境衛生を保持したのであった。“スギの木材が生活の多くの場面で日本人と結びつくことはほんとうに少なくなってしまった”という文末の嘆きは共感度が高い。

 出版から30年。環境問題が叫ばれる今、我々との結びつきがどうであるかは言うまでもない。素材として真の価値を持ち、国土の12%に育くまれ収穫期を迎えた杉は今、行き場を失っている。世界一安い木材と揶揄されるまでに価格が暴落し、森林荒廃を招いている。この国の気候風土に合う木の代表は、昔も今も杉なのである。そして今、杉との新たなる結びつきを探る時が訪れているのではないだろうか。本著は、その手掛かりの一つになると思えてならない。(杉岡 世邦)

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