女性の社会進出が進み、経済、芸術、学術などさまざまな分野の第一線で多くの女性が活躍している。映画と漫画、二つの世界で道を切り開いてきたパイオニア2人に話を聞いた。
●女性の視点で女の性描く 映画監督 浜野佐知さん
映画監督の浜野佐知さんは高齢女性の性を描いた「百合祭」などの映画で知られる。60代になった今も、「信念を持って女の性を撮り続けたい」と熱い思いを抱く。
浜野さんは映画業界が男性で占められていた1960年代に監督を志した。その道は険しく、高校卒業後に大手映画会社の演出部に就職を希望するが、採用条件は「大卒男子」。それでも夢をあきらめず、20歳でピンク映画界に飛び込んだ。撮影現場ではあらゆるセクハラやいじめが待っていた。用もないのに走らされ、胸が揺れるのをからかわれた。「酔ったスタッフや男優が深夜忍んでくるのを撃退するために、包丁を抱いて眠ったこともある」
浜野さんは「当時はセクハラという言葉もなく、なぜこんな理不尽な扱いを受けるのか、腹は立つけど訳が分からなかった。だから『監督なんか目指す生意気な女をやめさせろ』という雰囲気の中、負けるものかという気持ちだけで頑張った」と振り返る。
84年に会社を設立。暴力とレイプは一切撮らず、「女の欲望と性を女の目でとらえるピンク映画」(浜野さん)という異色の作品を精力的に作り、売れっ子になった。50歳の時、鳥取出身の作家尾崎翠の半生を描いた映画「第七官界彷徨(ほうこう)-尾崎翠を探して」を監督。3年後、高齢女性の性愛をテーマにした「百合祭」を製作し、伊トリノ国際女性映画祭で準グランプリを受賞するなど反響を呼んだ。
女の性に一貫してこだわってきた。「長い間、女の性は男のために映像化されてきたが、わたしは女自身の快楽として描いていく。高齢者や同性愛者の性など、日本社会でタブー視されているものをテーマにする」
現在、次回作の製作を目指しているが、不景気で資金集めは難航している。だが、浜野さんは「大変だが、若いときのような焦りがない」とおおらかに構えている。
▼はまの・さち 1948年徳島県生まれ。71年監督デビュー。約300本のピンク映画を撮った後、98年に念願の一般映画に進出した。
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●出会いが築いた画業50年 漫画家 花村えい子さん
少女漫画の黎明(れいめい)期を支え、1980年代はレディースコミックの売れっ子。そして女性向け原作ミステリー漫画の第一人者に。今年、画業50年を迎えた漫画家、花村えい子さんは「自分でもびっくりしました」とほほ笑む。
最近出版した半生記「私、まんが家になっちゃった」(マガジンハウス)で、夫と駆け落ち同然で家を飛び出した若いころのことを隠さず書いた。夫の仕事で住んだ大阪。アパートの1階にあった貸本屋の主人は漫画家だった。「好きだった絵を見せたら、『描きなはれ!』」。運命の出会いは続き、「今も気持ちは少年」と評する漫画家の楳図かずおさんはそのころからの旧友だ。
東京に移ると雑誌から仕事が次々に舞い込んだ。「のんきなとこがあって、やめたいって思ったこともなかったし、楽しいですから」。70年代末、「大人の恋愛の機微を描きたい」と思っていたらレディースコミックの創刊ラッシュ。「ちゃんとしたデッサンの絵に」と、当時としては珍しく絵柄をがらりと変えた。
90年代は好きだったミステリーの漫画化でパイオニアに。内田康夫「天河伝説殺人事件」では原作とは別の犯人を仕立てたが、内田氏に気に入ってもらい、現在は浅見光彦シリーズの一番の描き手だ。
目の下のまつげを描いたのも、コマの中に地の文を入れたのも花村さんが最初。代表作「霧のなかの少女」の主人公は、有名な着せ替え人形の原型とも言われる。少女漫画時代の絵が評価され、2年前にパリの歴史ある美術展に呼ばれた。「見るのが嫌でしょうがなかったんですけど、それが生き返っちゃって」と、再びかわいい絵にも取り組み始めた。静岡県熱海市のアトリエと東京を行き来する生活を続ける。「やりたいことはいっぱいあって、漫画じゃない絵も描いてみたい。でも時間がなくて」
▼はなむら・えいこ 埼玉県川越市生まれ。1959年、貸本漫画「別冊・虹」でデビュー。かわいいキャラクター画は当時の少女を魅了した。
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