
入所者の食事補助をするマエサロさん(右)とヘニさん(左から2人目)=鹿児島県南さつま市
「んまかどー(おいしい)」。焼き魚を口に入れた女性の鹿児島弁に、食事介助しているマエサロさん(23)の目元が笑った。就業前に受けた日本語研修はわずか半年。おまけに、鹿児島弁は独特な語彙(ごい)やイントネーションを伴う。「言葉が分からなくて、半年ぐらいはよく泣きました。でも、今は『してくやい(してください)』と言われても大丈夫です」。マエサロさんの言葉に、一緒に日本にやって来たヘニさん(24)がうなずいた。
インドネシア・ジャワ島出身の2人は2008年8月、2国間の経済連携協定(EPA)に基づいて来日した介護福祉士候補者だ。昨年1月末から、鹿児島県南さつま市の介護老人福祉施設「加世田アルテンハイム」で働いている。
制度の趣旨が「介護福祉士の国家資格取得と就労」である以上、2人とも仕事が高齢者の介護であることは当然理解し、知識も持っていた。それでも、現場に入ると当惑した。
ヘニさんは語る。
「インドネシアでは家族が自宅でお年寄りの面倒をみるのが普通。イスラム教は信徒同士の助け合いを重んじているし、お年寄りは地域で敬われる存在です」
対して、日本の介護は施設が大きな柱だ。「家族がいるのに、なぜ離れて暮らしているの? おばあちゃんを見て、かわいそうと思いました」とヘニさんは打ち明ける。約1年たった現在の印象を尋ねると、少し間を置いて、「慣れました」という答えが返ってきた。母国の文化を捨てることはできない。いま、身を置く異国の文化を拒むこともできない。二つの文化を生きなければならない人間の複雑な心境が、短い返事からうかがえた。
言葉、文化、生活習慣…。さまざまな壁や違和感に戸惑いながらも、2人の日本での仕事は続く。
ある時、1人のおばあちゃんがヘニさんを見つめて、「孫に似ている」と相好を崩した。ヘニさんは10歳の時に亡くした祖母の面影を重ね、「私も本当のおばあちゃんみたいに思った。同じ人間。気持ちが分かるようになったと思います」としみじみ振り返る。
入所者たちは2人を温かく受け入れ、「昭和の日本の子みたい」とかわいがっている。「たたずまいや高齢者を敬う姿勢が、日本が失ってしまった何かを思い出させてくれる」と吉井敦子園長。「外国人の介護を拒否する人がいないかと心配していましたが、取り越し苦労でした」
2人の月給は約12万円。インドネシアで働く看護師の平均月収の約5倍という。毎月3分の1を母国の家族に仕送りしている。
「母国では日本のテレビドラマやアニメが人気です。日本のイメージはインドネシアにないものがたくさんある国。『日本にはチャンスがある、働きたい』と思っても、入り口が開いてないと思っていました」と話すマエサロさんは「新幹線、自動販売機、歩くのが速い日本人。テレビの中の世界にいるみたいです」と陽気に笑った。
2人の当面の目標は2年後に国家試験に合格して日本で働き続けることだ。だが、永住を希望しているわけではない。マエサロさんは「日本で5年ぐらい働いたら、帰って家族と一緒に暮らしたい」という。
休日の2人の楽しみは国際電話で家族と話すこと。でも、「さみしい」のひと言だけは言葉にしない。
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9万3千人を超える外国人が九州で暮らし、さまざまな現場で働いている。身近な隣人になりつつある人々と共に生きるよりよい道を探るため、働く外国人を訪ね、現状をルポする。
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▼インドネシア、比との経済連携協定
インドネシア、フィリピンとの経済連携協定(EPA)の一環で看護師・介護福祉士の資格取得を目指す候補者を受け入れている。2009年5月までに、第1陣として両国から計491人が来日。今年1月中旬から、インドネシアからの第2陣(361人)が就業する。3―4年以内に国家試験に合格すれば、引き続き滞在できるが、取得できなければ帰国となる。介護福祉士は3年間の実務経験が条件。試験は実質1回だけで「条件が厳しい」との指摘がある。
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