八尋布(ぬぬ)ん くみとぅし (中略)
布晒(ざ)りぬ 美(かい)しゃや
綾晒りぬ 美しゃや
サコダアッパに褒(ほ)みられ
主ぬ前に 見直され

「一番好きな色? 緑系かな…。でも、嫌いな色がないんですよ」。糸から染めまでお世話になる島の植物を語る口調はなんとも優しい=沖縄県石垣市の工房
八重山の女たちは、布を織り、海に晒(さら)して美しく仕上げる。検品役のサコダばあさんに見せたところ、出来の良さを褒められた-。沖縄・石垣島に伝わる歌は、軽快にリズムを刻む。琉球王国に納める税といえども、美しい物をつくる喜びに弾むようだ。
上納布として貴ばれたのが、苧麻(ちょま)の繊維を原料とする八重山上布である。染める際、糸束の一部を括(くく)って防染し、模様をつくる伝統技法「手括り」は、いつしか失われた。昭和に入ると、染料を刷り込んで模様をつける「捺染(なっせん)」が業界を席巻。量産が可能になった。新垣幸子さん(64)が島で染織を始めたのは、1974年。そんな時代だった。

新垣さんの染織の特徴である緑の色は一つの植物からは出せない。藍にフクギなどの黄色系を重ねる。
「あんなのは八重山の織りじゃない。沖縄のまねをしているだけ」。手括りで織った上布が公募展で入賞した時、新垣さんは島の先輩たちの冷ややかな視線にさらされた。「でも、そうじゃない」と強く思えたのは、沖縄の染織作家・大城志津子さん(1989年没)の教えと、幼いころに親しんだある光景が心に焼き付いていたからだ。
72年、那覇に訪ねた大城さんは、折々で助言をくれた。その一つが「織りは糸から」。昔の石垣島を思い出した。「どこの赤瓦屋根の家の縁側でも、おばあさんが糸を績(つ)んでいた。それが私の原風景なんです」。年を取った織り手が機(はた)から離れ、庭の苧麻から糸をつむぐようになる。そんなサイクルが、かつて島にあった。
王府時代の上布を収蔵する日本民芸館(東京)に足しげく通い、島に残る古文書を研究した。87年から約10年間、民芸館の所蔵品や王府に納める御用布の絵柄を定めた「御絵図帳」に基づく復元に取り組んだ。上布の真実がわかってきた。
王府時代の上布は手括りで織られていたこと。島に繁殖する植物を煮出して染めたこと。糸が細く上質なこと。「技術も高く、例えば袖の耳(端)を曲げて縫い合わせず、そのまま使うことで、実に軽やかになっている」
30年が過ぎ、島に手括りの後継者が育ってきた。
半生を語る新垣さんの声はささやくように小さく、柔らかい。制作中の上布を見せてもらった。南島の光と風を織り込んだように軽く、涼しげで、透明感にあふれていた。
そして鮮やかな色。
「藍、ヤマモモ、クチナシ、フクギ…。ここでは植物がすごく強い色を持ってくれるので、本当にきれいに染まるんです」
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▼あらかき・さちこ 1945年、疎開先の熊本県で生まれる。沖縄県立工業試験場染色課を修了後、石垣島に戻り、八重山上布の制作に取り組む。一時期途絶えていた手括りの技術を復活させた。91年、同県無形文化財「八重山上布」保持者の認定を受けた。
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