
いつも笑顔が絶えない石松学さんとつぐみちゃん
昨年7月には鼻血が止まらず緊急入院した。9月には交通事故に遭い、いまだに首や腰、ひざが痛む。包丁一本で生きてきた料理人らしく、ふだんは威勢のいい石松学さん(41)も「もう体はぼろぼろ」と時には弱気になる。
そんな石松さんの手をぎゅっとつかみ、つぐみちゃん(10)は笑って言った。「ほら、両手に十字のしわがあるけん大丈夫。お父さんは絶対に死なん」。父親似のくりっとした目で、大きな手のひらを見つめた。
昨年3月、もう1人のシングルパパ、成松建哉さん(45)と飲食店「博多いしまつ」(福岡市東区)を開いた。脇目も振らず突っ走る毎日だったが、相次ぐ病気や事故に「自分の死」を意識した。親一人子一人の生活はいつまで続けられるのか。「もしもの時は姉の子どもとして育ててほしい」と遺書をしたためた。
離婚は6年前。3人の娘は妻が引き取った。「父親が子どもを育てる」という発想自体がなかった。その1カ月後、妻から「つぐみがお父さんがおらん、って毎日泣きおる」と電話があった。まだ4歳の末っ子。男なら覚悟せんと。「おれが引き取る」と告げた。
とはいえ、日々の暮らしは想像以上に大変だった。仕事が大好きで一日中働いていた。それが昼間だけのアルバイトに。収入は激減、夜まで仕事を延ばしてつぐみちゃんを家に残した。寝た後、中洲のすし店にアルバイトに出たりもした。
もちろん心配だった。少しでも寂しくないようにとケーブルテレビを引いた。仕事中に何度も電話した。「どこかで妥協せんと飯を食っていかれん」と自分に言い聞かせた。
区役所にも何度も出向いた。母子家庭にしかない手当や制度。「母子でも父子でも、困っている子どもに変わりはないやないか」と食い下がっても何も変わらない。仕事と子育て。「父子家庭は両立できんようになっとるんか」と疑問がわいた。母親が引き取った方が子どもは幸せなのか、と無力感も漂った。
「いしまつ」は平日午後9時に閉店する。深夜は書き入れ時だが、この時間だけはもう、譲れない。「子どもを中心にして、それで成り立たんかったら仕方ない」と覚悟を決めた。
石松さんが帰宅するとつぐみちゃんはたいてい寝ている。夕飯の後片付け、風呂掃除もきちんと終えて。石松さんの口癖は「自分でできることは自分でしろ」。厳しすぎるかもしれないが、自分の足でしっかり歩いていける人間に育ってほしいのだ。
もしつぐみちゃんがいなかったら。おそらく月に何回か板場に出て、あとは飲んだくれる日々だっただろう。「金があるとか無いとか関係ない。いま親と子がおって、こうやって生きていることが幸せ」。店を出るころ、近くの会社の電気は明々とついている。世の父親たちはまだ働いている。それぞれにそれぞれの幸せがあるのだろうか。
× ×
●メモ 母子・父子家庭への支援策
母子家庭に対する支援は、戦争で夫を亡くした女性たちが支援を求めて実現した「母子寡婦福祉法」が基礎となっているため、父子家庭への支援とは一線を画す。このため児童扶養手当や修学資金などの母子寡婦福祉資金貸付金制度は母子家庭のみ。来年度からは児童扶養手当が父子家庭にも支給される見通しで、自治体によっては独自の制度を設けるなど、父子家庭への支援も広がってきている。
× ×
▼投稿・情報・ご意見は→西日本新聞文化部生活班
〒810─8721(住所不要)
FAX 092(711)6243
電子メール bunka@nishinippon.co.jp
=2010/02/13付 西日本新聞朝刊=