
履歴書を書く南さん。職歴欄はぎっしりと埋まっている
福岡市で一人暮らしをしながら、就職活動を続けている南さん(35)が履歴書を見せてくれた。職歴欄は異なる業種の企業名で埋まる。一番初めは夜間の短大に通いながら勤めた紡績工場。その下に旅行会社やホテルなど8社が続く。職場が変わる回数が加速していったのは、8年前に派遣社員になってからだ。
小学3年の時、テレビドラマの「スチュワーデス物語」(
注1)に夢中になった。以来、航空・旅行業界で働くことを夢見てきた。しかし、新卒時の就職活動で内定はもらえず、他業種へ。27歳の時、求人情報誌で航空会社のオペレーター募集を見つけた。条件は派遣社員。迷わず応募して採用され、勤めていた会社を辞めた。
1999年の労働者派遣法改正(
注2)後、人件費を抑えたい多くの企業が規制緩和の流れに乗り、正社員を非正規社員に置き換えた。総務省によると、85年に68・1%だった女性の正規職員・従業員の割合は、2008年に46・5%まで減少。反対に派遣・契約社員の割合は3・5%から13・2%まで拡大している。
南さんが吸ってきたのは、そんな時代の空気だ。1年弱で契約が切れた後も、派遣で次々と「あこがれていた大企業」で働いた。「求人は多かったし、実際に仕事は1日も途切れませんでした。いわば、時代の都合を利用したんです」
「また仕事変えたのか」「正社員の方がいいのに」といった周囲の声はまったく気にならなかった。「派遣なら、新卒の時に入社できなかったあこがれの会社で働ける」と思ってきた。だが、07年春に派遣切りに遭い、これまで目を背けてきた派遣の不安定さを思い知った。
現在の目標は「正社員になること」というが、「正直、正社員だから安定するという時代でもないじゃないですか。大企業でも破綻(はたん)するし。だったら、自分のやりたいことを優先した方が精神的に幸せなんじゃないかって思ったりもします」とも語る。着地点にはまだ迷いがある。
「人に誇れるキャリアもないし、転職したから状況が今より良くなるか分からないっすから」。大分県内の地場企業で働く政博さん(34)はつぶやいた。
就職活動をした00年の大卒求人倍率は0・99。40社近く受けて、ようやく今の会社から内定をもらった。不況の影響で会社の経営は厳しい。昨冬のボーナスが20万円を切った。20代の後輩たちは入社2、3年で転職していっている。
会社の将来に不安を感じる。でも、転職には踏ん切りがつかない。不況で採用を抑えていたため、同期や直近の先輩や後輩の人数が少ない。その分、家族のような職場の雰囲気が嫌いではない。
父親はサラリーマン、母親は専業主婦という家庭で育った。「漠然と父親みたいに会社勤めして、結婚して。30すぎには自分の家を持つと思ってましたよ」。小さいころに抱いていた将来像と現実のギャップの大きさに戸惑いを感じる。
就職氷河期を経て、社会に出た時には不況の真っただ中だった。今の40代のように、好景気の時代に社会に足場を築けなかった。かといって、20代のように、社会に出る前から不景気を前提にした心づもりもなかった。ちょっとほかの世代が恨めしい。
「手本もないし、年取るのに合わせて、その場その場で生き方を探っていかなきゃいけないんでしょうね。これからもずっと」
=文中仮名
× ×
▼注1 1983―84年放送。スチュワーデス訓練生を描いた。「ドジでマヌケでのろまなカメ」など、ドラマ内のセリフが当時、流行語になった。
▼注2 医療や製造業など特殊業務を除き、派遣対象業務が原則自由化に。2004年の法改正では製造業への派遣も解禁された。ワーキングプアや派遣切りなど、不安定な派遣労働の実態が社会問題化し、鳩山政権は製造現場への人材派遣を原則禁止とする法改正の方針を打ち出している。
× ×
▼投稿・情報・ご意見は→西日本新聞文化部生活班
〒810─8721(住所不要)FAX 092(711)6243
電子メール bunka@nishinippon.co.jp
=2010/03/17付 西日本新聞朝刊=