
古文書や資料が山積みの長崎歴史文化協会事務所。ほとんど越中さんの書斎と化している
遠藤周作、司馬遼太郎、なかにし礼…。昔の長崎を舞台に小説を書こうという人が、まず会いに来る。
長崎の歴史と文化を学ぶ「長崎学」の礎を築いた歴史学者、古賀十二郎の孫弟子。博物館や大学に勤めながら、美術から食文化まで約200冊を記した。一方で、長崎史談会や長崎歴史文化協会で市民が学ぶ場ももり立てる。持論は「歴史学は学者だけのもんじゃなか」。
-長崎学の面白さは。
「なーんも面白いことなんかなか。ほかにやる人おらんからやっとるんです」
-いつまでもお元気で。
「今度の夏は精霊船に乗っとりますから」
長崎弁全開の毒舌と軽妙なジョークが人気で、精霊流しや長崎くんちではテレビの実況中継で解説者として引っ張りだこ。老若男女問わず「越中先生」と慕う。
歴史を観光資源に結び付けた立役者でもある。戦後間もなく、朽ちていた旧グラバー邸が三菱重工業から長崎市に寄贈された。市長に観光担当を命じられ、自宅にあった鏡や、病院で廃棄されたベッドを邸内に運び、掃除をした。
「当時はグラバーなんて誰も知らないでしょ。佐世保の外国人に『マダム・バタフライの家に来ませんか』と言ったら当たってねえ。最初はうそ、はったり何でもあり」
やがてグラバー園として整備され、長崎随一の観光地となる。
1950年代からは、坂本竜馬の足跡も掘り起こした。亀山社中跡は自宅のそば。祖父は「うちのみそを盗んだ。亀山もんはろくなやつじゃなか」と話していたという。教科書では学べない裏話まで知識は豊富だ。
3回がんを患い、3年前に「あと1年」と告げられた。
「おかしかね、まだ生きてる。もう長生きしたいとも思わんですよ」
心残りは長崎学を継承する若い人が育っていないこと。
「長崎学は生活と一体の学問。芸者遊びをしたことない世代は難しかねえ」
講師を務める市民講座は相変わらず満員御礼だ。
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晴れやかな「好日」を生きるシニア世代にお話をうかがいます。
=2011/04/15付 西日本新聞朝刊=