西日本新聞/九州ねっと
 



<11>記者ノート 小さな一歩から始めたい 「碧」に染まる川を見たい

 遠賀川が“ぜんざい川”と呼ばれた時代、川遊びの子どもの体にはいっぱい炭が付いたという。サケの遡上(そじょう)が途絶えていた時期だ。「さぞかし汚れた川だったのだろう」。そう思っていた。

 ところが、それは思い込みだった。川の水質は今よりも良好で、豊かな水が田畑を潤わせていたことを知った。「ドジョウを手で捕まえよった。体は黒くなったけどな」。川で一番の思い出を聞かせてくれた男性は、にこやかに体の炭を払うしぐさをした。

 大学教授は「遠賀川が九州の一級河川で水質最悪になったのは、『石炭後』の洗剤の普及と汚水処理の未整備です」と問題点を教えてくれた。

 鉱害が終わっていないことも実感した。経済産業省の調査で、筑豊地区の3カ所の炭鉱跡地から流れ出す廃水の含有鉄分が、法定基準を上回っていた事実も出てきた。

 一方で、夢や希望に向かい、未来へ進む人々と出会った。川の水質改善のため、手弁当で10年間も源流の森づくりを進める団体。「サケ博士」の東亮太君(15)は、放流するサケの稚魚の育て方を教えてくれた。「年に2匹だけでも遠賀川にサケが帰ってくるのがうれしいとです」。あの笑顔が目に焼きついている。

 取材を終え、自分の中で小さな変化が生まれた。深夜、自宅でシャワーを浴びる時、シャンプーのポンプを押すのを1回に減らした。皿の油をふき取ってから、水洗いするようになった。小さな一歩からでも、遠賀川のために何かを始めたい。 (筑豊総局・重川英介)

   ◇   ◇

 あらためて遠賀川の雄大さを実感した。車で川の土手沿いを芦屋の河口まで下った。川幅がぐんぐん広がっていく。流域に67万人をはぐくむこの川は、懐が広い。

 人々と歩んできた遠賀川の姿を掘り下げたいと、川の思い出話を聞いて回った。それが炭鉱の歴史をひもとく作業にもつながった。昭和初期で姿を消した「川ひらた」に何度も乗ったお年寄りがいた。大正時代に飯塚を去った柳原白蓮が渡し舟を利用した話に行き着くとは、夢にも思っていなかった。今はコンクリートで固められた川岸では、風流な句会が開かれていた。

 人々の記憶に秘められた営み1つ1つが新鮮だった。「母なる川」は身近にありすぎて、私たちには遠い存在になっていたことに気付いた。

 紹介した夫婦デュオ「ハル」のオオガタミヅオさん(51)は、小学生のころの「めだかの学校」の思い出話をしてくれた。先生が「そーっとのぞいて見てごらん」と歌うと、「なーん見えんめーもん」と冷やかしたという。当時の遠賀川は、炭で黒く濁っていた。

 ハルには「遠賀川」という名曲もある。

川の流れはおだやかに
春を謳(うた)うよ遠賀川
(略)
この川と生きて行こう
ここが一番好きだから

 ハルの歌を聴いたブラジルの「筑豊村」の人たちは、古里の川の情景を2世、3世へと語り継いでいくことだろう。

 あと数十年後、遠賀川は「碧(あお)」に染まっているだろうか。見守っていきたい。 (筑豊総局・一瀬圭司)


=2007/07/01付 西日本新聞朝刊=

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