台風に備え、飾り山笠の早期撤去や舁(か)き山笠の収納庫変更に追われた今年の博多祇園山笠は、15日早朝の「追い山」で無事に幕を下ろした。厳戒態勢の中、舁き山笠が駆け抜けた博多の街に再び、静けさが戻った。

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 ●飾り山笠の飾り倒れる

 「走る飾り山笠」として人気を集める八番山笠・上川端通が、追い山の「櫛田入り」を終え、東長寺前を巡って上川端商店街に戻る際に、飾りが倒れるハプニングがあった。
 午前6時ごろ、大博通りを曲がったとたん、バキッという音と共に飾りが前のめりに倒れた。驚いた沿道の観衆から悲鳴が上がったが、けが人はなかったという。道路のマンホールに山笠台の足が引っ掛かり、柱が折れたのが原因という。
 一時は騒然としたものの、舁(か)き手たちは落ち着いて倒れた飾りを抱え、同商店街に持ち帰った。嶋田高幸総務(66)は「奉納を終えた帰り道で、けが人もなかったのが不幸中の幸い。ご心配やご迷惑を掛けたが、来年も素晴らしい山笠を奉納できるように準備したい」と話した。倒れた飾りは補修や乾燥をした上で、例年通り同商店街に展示するという。

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 ●境内で「鎮めの能」

 「追い山」に出たすべての山笠が櫛田神社を後にした午前6時、同神社能舞台で“荒ぶる神”をなだめる「鎮めの能」が奉納された。勇壮な掛け声から一転して、厳かな笛や太鼓の音が境内に響き、博多の夏を彩る祭りをしめくくった。
 鎮めの能は黒田藩ゆかりの喜多流梅津社中の能楽師によって、1668年に始まったとされる伝統行事。定番の居囃子(はやし)「翁」や舞囃子「高砂」などが演じられ、追い山の興奮冷めやらぬ観光客ら約100人が、傘を差して熱心に鑑賞した。
 喜多流の指導者、梅津忠弘さん(68)=福岡市中央区=は「台風の影響を心配していたが、無事に務めることができて良かった」と、胸をなで下ろしていた。

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 ●大乗寺前町から初参加 新人記者体験記

 「追い山の櫛田入りの時、舁き山笠にオーラが見える」。先輩にそう聞かされた時、正直なところ半信半疑だった。6月半ば、博多祇園山笠・土居流の当番町「大乗寺前町」に加えてもらってすぐのことだ。「本当に山笠の発するオーラがあるのならば見てみたい」。それが山笠体験の出発点となった。

 大乗寺前町の若手の1人となり、さまざまな行事やしきたりを学んだ。ビールのつぎ方1つから丁寧に教えてくれる先輩たちの助言は、どんな書物よりも分かり易い「山笠の教科書」だった。

 たくさんしかられもした。7月9日の全流お汐井取りは「腕を大きく振って走ると、周りに迷惑がかかる」と厳しく注意された。水当番を仰せ付かった翌日の流舁きでは「ポリバケツ」と「布バケツ」を聞き間違え、大目玉を食らった。あまりに要領を得ない自分が情けなかった。

 11日の朝山(祝儀山)で、舁き山笠の台上がりをさせてもらった。進行方向に背を向ける見送り側。山笠を押す舁き手が、猛然と自分の方に迫ってくる。快感だった。自分がその「後押し」に回り、12日の追い山ならしは栄誉ある櫛田入りを体験。体が震えた。

 迎えた15日。追い山で後押しの補助を担うことになり、櫛田神社の境内で出番を待つ。十分前、5分前、3分前-。声がかかるたび、周りの緊張が高まるのが分かる。雨で冷えた体をほぐしながら、思わず自分もふーっと息を吐いた。

 「3、2、1、やぁーっ!」。神社脇の道に待機していた土居流の舁き山笠が動きだした。清道(境内)の中に入ってくる。「よしっ」。そう思った瞬間に見えた。山笠の背負ったオーラが。照明が雨粒に反射しただけかもしれない。それでも、山笠は確かに神々しく輝いていた。

 追い山の直会(なおらい)で、大乗寺前町の役員や仲間はだれかれとなく泣いた。当番町の重責から解放された安どと達成感の涙だった。

 「当番町として、どうしたら他の町の舁き手が山笠を楽しめるかを考えなさい」。役員らは常に自問し、若手にも問い続けた。猛々しく振る舞いつつも、決して他人への思いやりを忘れない-その尊い気持ちこそが、きっとあの時に見えた山笠のオーラに違いない。

 大乗寺前町の皆さん、お世話になりました。

(博多まちなか支局・山路健造)


=2007/07/16付 西日本新聞朝刊=