▼出直し県知事選
官製談合事件による知事辞職に伴う出直し県知事選は1月21日、投開票された。談合防止や失墜した県政の信頼回復が争点となり、マニフェストを掲げて抜群の知名度を武器にした元タレントそのまんま東氏(現東国原英夫知事)が26万6807票を獲得、元官僚ら4人を大差で破った。九州では初のタレント出身知事が誕生した。
2007年の流行語大賞にも選ばれた「宮崎をどげんかせんといかん」は、この選挙での演説が始まり。民意は、選挙支援の見返りから起きた県庁の未曾有の不祥事に怒り、組織や団体の推薦を受けない草の根選挙で「脱しがらみ」を訴えた東国原知事に「変革への荒療治」を託した。
無党派層の投票参加、政党離れ、動員を自粛し影を潜める建設業界…。出直し知事選は従来の選挙構図を激変させた。
▼県議会
30市町村に再編された「平成の大合併」後、初の選挙となった4月の統一地方選。前半戦の県議選は、東国原知事を支持し県政や県議会改革を唱える「東国原チルドレン」が相次ぎ登場、自民党のベテラン現職らを退けて上位当選を果たした。後半戦の町長選は合併をめぐり、各地で町を2分した戦いとなった。
県議選に無所属で立候補、初当選した4人は新会派愛みやざきを結成。自民党は改選前から4議席減の28議席となり、県議会の勢力図も変わった。
県議会は本会議一般質問などでの「一問一答」方式を導入。知事と丁々発止のやりとりを繰り広げた。9月7日には政務調査費の使途を透明化するため、一円以上の全支出の領収書を収支報告書に添付し公開することを決定。10月18日には、県議10人が10日間の日程で予定していた欧州3カ国視察の中止を決めた。約1000万円の公費負担に県民の批判が高まっていた。議会側も「旧来型」からの脱却へかじを取り始めている。
▼参院選
年金問題への批判で自民党が惨敗した7月29日の参院選は、県内でも風が吹いた。宮崎選挙区には過去最多に並ぶ6人が立候補。民主、社民、国民新の各党が推薦した外山斎氏が31歳の若さを前面に出し、01年参院選での自民党公認争いの遺恨が再燃した保守系候補2人の間(かん)隙(げき)を縫って初当選した。自民党は03年の前回に続き現職公認候補が敗れ、選挙区の議席を失った。
12月に入り、次期衆院選に向けた動きが加速。宮崎1区は、共産党県書記長の馬場洋光氏と、知事選で次点の元林野庁長官の川村秀三郎氏が立候補表明。川村氏が、知事選時に支援を受けた自民党現職中山成彬氏にどう挑むか注目される。
▼松形氏、江藤氏死去
8月23日。03年8月まで6期24年間にわたり、県知事を務めた松形祐(すけ)堯(たか)氏が死去した。89歳だった。先見性ある施策で農林水産業振興や道路網整備に努め九州・沖縄サミット外相会合誘致にも尽力した。温厚な人柄が慕われた。
松形氏の後を追うように、元建設相江藤隆美氏が11月22日、滞在先のベトナム・ホーチミンで死去した。82歳だった。県議を経て1969年、衆院議員初当選。通算10回当選。歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで問題発言もあったが、人情派の政治家として知られた。
県勢発展に功績を残した2人の政治家。多くの県民が故人を悼んだ。
▼オーシャンドーム閉鎖
400億円超の巨費が投じられた宮崎市のシーガイアの中核施設オーシャンドームは9月30日、営業を終了、14年の歴史に幕を下ろした。
ドームは93年7月、県などが出資する第三セクターが開業。南海の楽園をイメージした全天候型開閉式ドームで、全長三100メートル、幅100メートル、高さ38メートル。世界最大の屋内遊泳施設としてギネスブックにも認定された。入場者減少で、運営するフェニックスリゾート社の経営を圧迫していた。フェニックス社は跡地利用について「白紙」としている。
リゾート観光を象徴したオーシャンドームの閉鎖と、シーガイア建設にかかわった元知事松形氏の死去。一時代の終(しゅう)焉(えん)を印象付けた。
=おわり
(この連載は宮崎総局・郷達也、千束阿貴、都城支局・森竜太郎、延岡支局・田中良治が担当しました)
=2007/12/29付 西日本新聞朝刊=
官製談合事件による知事辞職に伴う出直し県知事選は1月21日、投開票された。談合防止や失墜した県政の信頼回復が争点となり、マニフェストを掲げて抜群の知名度を武器にした元タレントそのまんま東氏(現東国原英夫知事)が26万6807票を獲得、元官僚ら4人を大差で破った。九州では初のタレント出身知事が誕生した。
2007年の流行語大賞にも選ばれた「宮崎をどげんかせんといかん」は、この選挙での演説が始まり。民意は、選挙支援の見返りから起きた県庁の未曾有の不祥事に怒り、組織や団体の推薦を受けない草の根選挙で「脱しがらみ」を訴えた東国原知事に「変革への荒療治」を託した。
無党派層の投票参加、政党離れ、動員を自粛し影を潜める建設業界…。出直し知事選は従来の選挙構図を激変させた。
▼県議会
30市町村に再編された「平成の大合併」後、初の選挙となった4月の統一地方選。前半戦の県議選は、東国原知事を支持し県政や県議会改革を唱える「東国原チルドレン」が相次ぎ登場、自民党のベテラン現職らを退けて上位当選を果たした。後半戦の町長選は合併をめぐり、各地で町を2分した戦いとなった。
県議選に無所属で立候補、初当選した4人は新会派愛みやざきを結成。自民党は改選前から4議席減の28議席となり、県議会の勢力図も変わった。
県議会は本会議一般質問などでの「一問一答」方式を導入。知事と丁々発止のやりとりを繰り広げた。9月7日には政務調査費の使途を透明化するため、一円以上の全支出の領収書を収支報告書に添付し公開することを決定。10月18日には、県議10人が10日間の日程で予定していた欧州3カ国視察の中止を決めた。約1000万円の公費負担に県民の批判が高まっていた。議会側も「旧来型」からの脱却へかじを取り始めている。
▼参院選
年金問題への批判で自民党が惨敗した7月29日の参院選は、県内でも風が吹いた。宮崎選挙区には過去最多に並ぶ6人が立候補。民主、社民、国民新の各党が推薦した外山斎氏が31歳の若さを前面に出し、01年参院選での自民党公認争いの遺恨が再燃した保守系候補2人の間(かん)隙(げき)を縫って初当選した。自民党は03年の前回に続き現職公認候補が敗れ、選挙区の議席を失った。
12月に入り、次期衆院選に向けた動きが加速。宮崎1区は、共産党県書記長の馬場洋光氏と、知事選で次点の元林野庁長官の川村秀三郎氏が立候補表明。川村氏が、知事選時に支援を受けた自民党現職中山成彬氏にどう挑むか注目される。
▼松形氏、江藤氏死去
8月23日。03年8月まで6期24年間にわたり、県知事を務めた松形祐(すけ)堯(たか)氏が死去した。89歳だった。先見性ある施策で農林水産業振興や道路網整備に努め九州・沖縄サミット外相会合誘致にも尽力した。温厚な人柄が慕われた。
松形氏の後を追うように、元建設相江藤隆美氏が11月22日、滞在先のベトナム・ホーチミンで死去した。82歳だった。県議を経て1969年、衆院議員初当選。通算10回当選。歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで問題発言もあったが、人情派の政治家として知られた。
県勢発展に功績を残した2人の政治家。多くの県民が故人を悼んだ。
▼オーシャンドーム閉鎖
400億円超の巨費が投じられた宮崎市のシーガイアの中核施設オーシャンドームは9月30日、営業を終了、14年の歴史に幕を下ろした。
ドームは93年7月、県などが出資する第三セクターが開業。南海の楽園をイメージした全天候型開閉式ドームで、全長三100メートル、幅100メートル、高さ38メートル。世界最大の屋内遊泳施設としてギネスブックにも認定された。入場者減少で、運営するフェニックスリゾート社の経営を圧迫していた。フェニックス社は跡地利用について「白紙」としている。
リゾート観光を象徴したオーシャンドームの閉鎖と、シーガイア建設にかかわった元知事松形氏の死去。一時代の終(しゅう)焉(えん)を印象付けた。
=おわり
(この連載は宮崎総局・郷達也、千束阿貴、都城支局・森竜太郎、延岡支局・田中良治が担当しました)
=2007/12/29付 西日本新聞朝刊=
