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【命をつなぐ 臓器移植法20年】<2>ドナーに授かった青春

書道部の練習に励む少年。他の部員と変わりなく活動している
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心臓移植を受けた鹿児島の男性(右)は「親に恩返しがしたい」と勤務先を探す
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 身長175センチ。高校に入って10センチ近く伸びた。朝6時過ぎに家を出て、帰宅は夜7時過ぎ。勉強に部活に忙しい。福岡県に住む少年(17)は今、ごく普通の青春を過ごしている。肝臓移植を受けられたから-。

 中学1年で原発性硬化性胆管炎と診断された。肝臓の胆管に炎症が起き、さまざまな不調が出る。根本治療は難しく、進行すると肝不全になり、命にも関わる。主治医から「移植も選択肢の一つ」と言われたが、現実とかけ離れすぎていて深く考えなかった。

 中3の秋、症状が急変して入院した。40度を超える熱が毎晩続き、眠れない。食べられない。だるい。熱い。かゆい。黄疸(おうだん)で顔も目も黄色くなった。「そろそろ移植しようか」。主治医の言葉が現実味を帯びた。その冬、日本臓器移植ネットワークに肝臓移植の待機患者として登録した。

 18歳未満は優先度が高いこともあり、高校入試を前にその時が来た。未明に母(46)の携帯電話が鳴り、病院へ向かった。手術は15時間。目覚めたら集中治療室(ICU)だった。体の変化は特に感じなかった。

 移植から約2年。以前のようなだるさはなく、朝すっと起きられる。授業の半分を過ぎるときつかったのも、問題なし。黄疸は消え、母は「肌が白いね」と喜んでいる。

 拒絶反応を抑える免疫抑制剤は1日2回、一生飲み続けなければならない。月1回、通院もする。それでも、おなかの傷を見るたびに同じ10代だったドナー(臓器提供者)を思う。「ありがたくて大切な命。どんなことがあっても『死ね』とか『殺す』とか言いたくない」。肝臓は親族間の生体移植も行われている。今回のドナーは、臓器移植法で認められるようになった脳死段階での提供だった。

 移植を待つ人は約1万4千人。待機期間は1997~2015年度の平均で、最も短い小腸が約1年、腎臓は14年を超えている。書道部の仲間や一部の同級生に手術を受けたことを話した。臓器の提供や移植を身近に感じ、真剣に考えてほしいからだ。

 夢がある。移植コーディネーターになること。「命をつないでもらった自分だから、次の命、その次の命につなげていきたい」

 鹿児島県の男性(37)は2013年、心臓移植を受けた。

 高校1年で肥大型心筋症と診断され、次第に悪化した。30歳の時、救急搬送された鹿児島市の病院で体外設置型の補助人工心臓を着けられ、ヘリコプターで心臓移植が可能な大阪の病院に運ばれた。

 以来3年、病室で移植を待った。心臓は脳死下でしか提供できず、当時は年30件前後だった。「移植したら、何をしたい?」と繰り返し語り合った仲間には、移植を前に亡くなった人もいる。

 手術は約10時間を要した。目覚めた瞬間、体中に血が流れるのを感じた。いつも冷たかった顔がほてり、手足の先が温かかった。「移植できたんだ」と実感した。

 退院後も1年間、経過観察のため、大阪に部屋を借りて過ごした。徐々にできることが増え、電動自転車で風を切るだけでうれしかった。先に退院した仲間とマスク姿で街をぶらつくのも楽しかった。

 今、鹿児島の実家で両親と暮らす。免疫抑制剤など1日8種類の薬を飲み、刺し身など、感染の恐れがある生ものは食べられない。月1回は大学病院、2カ月に1回は大阪まで通院する。それでも運動ができ、母(66)の仕事も手伝える。「移植を受けられて良かった」。月並みだが、それに尽きる。

 次の目標は就職。地元に仕事は少なく苦労しているが、両親を安心させ、恩返ししたい。実現できたら、ドナーの家族に手紙を書くつもりだ。

 ●メモ

 心臓、肺、肝臓、小腸は脳死下でのみ移植が可能。腎臓と膵臓(すいぞう)は心停止後の提供でも移植できる。移植を希望する患者は、あっせん機関「日本臓器移植ネットワーク」に登録する。提供があった場合、血液型や体重などの適合度、重症度、年齢(腎臓のみ移植施設の所在地も)などを基に移植を受ける患者が決まる。移植できる施設は東京、大阪など都市部に集中。昨年の移植数は338件。このほか、腎臓や肝臓、肺などは主に親族提供による生体移植も行われている。


=2017/10/23付 西日本新聞朝刊=

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