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「真珠湾」通告遅れは意図的か 対米開戦に新説 九大教授が米記録発見

三輪教授が米国公文書館で入手した米軍資料。訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている
三輪教授が米国公文書館で入手した米軍資料。訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている
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 太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。

 日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。

 三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。この電報の存在と時刻が何を意味するのか。

 旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の午後2時20分だった。この遅れが、米国から「だまし討ち」と批判される原因となった。

 覚書は、外務省が発信した暗号電報を大使館が解読し、英文に直してタイプライターで作成した。長文のため、電報は14部に分けて発信された。

 1~13部は同6日午前8時~11時25分に発信されており、内容はこれまでの日米交渉を確認するにとどまる。交渉を打ち切るという「結論」は14部で初めて分かるが、ぎりぎりまで機密を保持するため、13部から約15時間後の7日午前2時38分に発信された。

 現在の通説はこうだ。大使館は6日中に13部までをタイプライターで清書し、7日朝に14部を追加すれば開戦前に通告できたはず。しかし、大使館は7日朝から1~14部の清書を始めたため、間に合わなかった。6日夜に大使館内で送別会があっていたことなどから、大使館の「怠慢」が通告遅れを招いた-。

 だが、三輪教授は、元外務省ニュージーランド大使の井口武夫氏が2008年の著書で触れた訂正電報の存在に注目した。当時、大使館の1等書記官だった奥村勝蔵氏が、1945年に「夜半までに13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と陳述していた。

 三輪教授は、大使館が1~13部の「訂正電報」を待っていたため、清書ができなかったとする仮説を立てた。訂正が175字に上っていたことも外交資料で分かった。当時のタイプライターは途中で挿入や訂正ができない。大使館は「訂正電報」が届くまで清書ができなかったのではないか。

 発見した二つの電報は、他の電報の詳細と突き合わせた結果、「訂正電報の可能性が極めて高く、奥村証言を裏付ける証拠」と三輪教授は読む。13部が発信された6日午前11時半から、二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」がある。この間、大使館は清書ができない。

 これが事実とすれば、では何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか。

=2016/12/26付 西日本新聞朝刊=

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