シゲちゃん 長崎原爆72年(4)「花と竜」に人生重ね

シゲちゃんの消息を知り、福岡県久留米市に駆け付けて堤孝行さん(右)から話を聞く池田道明さん=7月24日
シゲちゃんの消息を知り、福岡県久留米市に駆け付けて堤孝行さん(右)から話を聞く池田道明さん=7月24日
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 食堂の出前係を辞めたシゲちゃんは、1970年代半ばには福岡県久留米市で路上生活を送るようになっていた。ある日、旧国鉄久留米駅前で一人の男性が声を掛けた。「おい、ぶらぶらしとったらいかんやろ」

 男性は、市内で焼き芋の移動販売をしていた堤孝行さん(76)。シゲちゃんの姿をたびたび路上で見掛けていた。「俺んところに来て手伝わんか」。シゲちゃんは二つ返事だった。

 堤さんの家にシゲちゃんも同居し、市内の聖マリア病院の敷地内で焼き芋販売を任された。入院患者や見舞客に好評で、商売が軌道に乗ると病院近くで家賃3万円のアパートを借り、1人暮らしを始めた。

 ただ、生きるのに必死だったのだろう。堤さんが決めた値段よりも少し高く売り、差額を懐に入れることもあった。堤さんは「シゲの自立のため、多少は目をつぶっとった」。シゲちゃんは10年ほどで焼き芋売りを辞めたが、その後も堤さんの所に顔を出したという。

 酒が大好きで歓楽街に繰り出すと、カラオケで村田英雄さんの「花と竜」を熱唱した。

 どんな苦労も承知の上だ

 胸を叩(たた)いて青空にらむ

 それが男さ

 それが男さ

 自分の境遇と重ね合わせていたのかもしれない。

 被爆の影響か、シゲちゃんは白血病を患っていた。彼が還暦の頃、生活保護の申請に付き添った堤さんは、この時初めて病気のことを知ったという。被爆者健康手帳は持っていなかったと思う、とも。

 甲状腺がんとみられる症状もあったようだ。十数年前、シゲちゃんが堤さんの売り場に現れた時、首が腫れていたという。「兄貴、たばこ代をくれんですか。明日、入院します」

 その後しばらくして、と堤さんは記憶している。顔だけは知っているシゲちゃんの友人が現れて告げた。

 「シゲは死んだよ」

   □    □

 7月下旬、記者は、6歳で別れた「命の恩人」シゲちゃんを捜し続けていた被爆体験の語り部、池田道明さん(78)を長崎県長与町の自宅に訪ねた。

 「断定はできないが」と断った上で、久留米市にいた「いけすえ しげなり」がシゲちゃんで、60代後半で亡くなったようだ、と告げた。市の無縁仏の記録には名前がなく、墓は見つからなかったことも。池田さんは、一瞬置いてつぶやいた。「覚悟はしてたけどな…」

 池田さんは、続けて言った。酒を飲み、「花と竜」を歌うシゲちゃんのエピソードに「彼にも良い時代があり、それが分かっただけでも救われた」と。

 恩人捜しに区切りがついた被爆72年の夏。池田さんは、いつも以上に特別な「8月9日」を語ることになりそうだ。少年2人の運命を1発で分けた原爆、いまも世界に1万4900発ある核兵器の廃絶を願って。生かされた者の務めだから。

 「シゲちゃん、ありがとう」

      *

 原爆により親を亡くした原爆孤児は、広島で2千人とも6500人ともいわれる。長崎ではその数も、実態も詳しく分かっていない。シゲちゃんもその一人だ。 =おわり

=2017/08/03付 西日本新聞朝刊=

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