
1958年10月、西鉄ライオンズ時代の稲尾和久投手の投球フォーム
プロ野球タイ記録のシーズン42勝。3年連続30勝以上、入団時から8年連続20勝以上。夢のような記録の数々。西鉄ライオンズで14年間バッテリーを組んだ和田博実さん(70)は「先発、中継ぎ、抑えと分業化が進んだプロ野球界で、もう稲尾の記録を超える投手は出てこないだろう」と、神様、仏様、稲尾様と称された稲尾伝説の源をこう語った。
「稲尾は14年間、ベンチから外れる、いわゆる“上がり”がなかった。投手としての延命を計算するというような打算がまったくなかった」。先発の翌日に救援に回り、また先発とフルに登板する。「それに文句1つ言わなかった」精神のたくましさが、伝説の記録を生んだという。
大分の別府の海で漁師だった父親を手伝い、櫓(ろ)をこいで、強い下半身とスタミナを育てたのは有名な逸話だ。
「体の幹が強かった。骨太の体の強さは1年目から目についた」。入団当初、三原脩監督に「稲尾はバッティング投手として獲得した」といわれ、連日打撃投手を務めた。この中で精密機械と評されたコントロールを身に付けた。和田さんは「投手の制球力をボール1個分とか表現するが、稲尾はボール3分の1を自在に出し入れした。その証拠に、奪三振は空振りよりも見逃しが多かったはずだ」と振り返る。
サイちゃんの愛称は「動物のサイの目のように細い目からきたと言われているが投手としての才能のサイ」でもあったと和田さんはへこたれない鉄腕の才能を語った。
引退後、中日コーチ、ロッテ監督を務めた。「なによりも人の悪口をいわない。気配りの人だった」。プロ野球OBのリーグ、マスターズリーグの福岡ドンタクズ監督も務め、17日に初戦を迎えるドンタクズを「足が動けば出るのだが」と、最後まで心配していたという。鉄腕伝説は「天性に加え、骨を惜しまない努力」で築いたものだった。
=2007/11/13付 西日本新聞夕刊=





