田んぼ全滅、農業は無理 日田の孤立集落解消したが…九州豪雨 [大分県]

皿山集落では小鹿田焼陶芸館に毎日住民が集まり、行政からの伝達事項などを話し合っている
皿山集落では小鹿田焼陶芸館に毎日住民が集まり、行政からの伝達事項などを話し合っている
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孤立が解消された殿町から引き上げる医療スタッフを見送る住民
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 九州豪雨による孤立状態が解消された日田市の大鶴地区と小野地区。最大で500人以上が不自由な生活を強いられた。安堵(あんど)と先行きの不安が交錯していた両地区の住民の声を紹介する。取材は12日。

 ■小鹿田集落

 一見して被害はない。報道関係者がぞろぞろ来たので住民が「何があったのか」と外に出てきた。

 梶原徳雄さん(67)

 この辺りは5日から停電で真っ暗。10日に久しぶりに電気がついた。ガスは無事だったので土鍋で米を炊いたが、水が出なかったので発電機を使ってみんなで協力してくみ上げた。下流の林業センターに食料が届いたと聞いて、40分ほど歩いて仲間と3人でチョコレートパンやカップ麺を取りに行って配った。道が崩れていることに後から気付いてぞっとした。仕事に行って帰ってこられない人もいるし、情報も全く入ってこなくて不安だった。ここは冬には雪で通行止めになる。夏にもこんな水害で寸断があるなら、市街地にアパートでも借りた方がいいのかなぁ…。

 奥森良信さん(82)

 電気がこなくて、自分で作った米をガスで炊いて食べた。おいしくなかった。テレビはまだつかないし、情報もない。孤立中は川の水が「これ以上増えないといいな」と願うばかりだった。どうなるやろうかと川ばかり見ていた。1週間ぶりに道が通ってほっとしました。車が通れるから、魚やラーメンを買いに行ったり、市街地の病院に行ったりできます。

 奥森明子さん(79)

 怖かったので昼間は友達と一緒にいました。食事はあったけど買い物に行けなかったから。早速、冷やし中華かうどんを作って食べたい。美容院にも行って髪を切りたいね。

 ■皿山集落

 前日の11日、小鹿田焼の陶土を砕く唐臼(からうす)の損壊を知らせる情報が届いた。普段は観光客が行き交う道に人けはない。川には引っかかった倒木が目立った。

 坂本庸一さん(41)

 普段は観光客がちらほらいる感じなんだけど。(大鶴地区からの)道路が開通しても、みんなあっち(土砂ダムのほう)から来るから、あそこの道が復旧せんと来られんやろう。(被害を受けた唐臼を見ながら)こんなに流されてしもうて…。しょうがないすもんね。家が助かっただけでいいと思わないと。

 地域で唯一の唐臼職人、小袋信裄さん(74) 

 唐臼を作るのは2、3日あればできるが、設置して実際動きだすまでには40日ぐらいかかる。さらに材料の木、松の木がなかなか手に入らない。

 小袋定雄さん(68)

 うちの唐臼は水に漬かった程度だが、中には流されてしまったところもある。ここの住民で、土砂や流木の撤去の作業をしてきた。うちも家族5人でようやく作業場周辺を片付けた。5日は大雨だったが、逃げる場所がなく自宅に残った。家の前の川があふれ「大変なことになる」と思った。まさかこんな事態になるなんて。うちには(唐臼の材料になる)丸太があり、流失してしまった窯元に融通できれば。

 坂本憲子さん(70)

 道が復旧し、買い物や病院へも行けるようになり安心した。水害以降、ずっとここにいた。困っていることといえば、情報が少ないこと。やっと3日前に固定電話が通じたが、携帯電話はまだ通じない。携帯電話で話すには、ここから山道を10分歩いた場所に通じる場所があり、そこまで行かないといけない。また生野菜が不足している。残っている生野菜を隣近所で分け合って食べてきた。これからは買いに行けるだろう。

 ■殿町集落

 殿町に入った。ここでは住民が助け合って食事や片付けなどをしていた。

 野田正一さん(72)

 ずっと家にいた。妻は仕事に出ていて5日は小野振興センターに泊まったが、翌日歩いて帰ってきた。家にいる間、近所の知人宅へ倉庫にたまった泥を掃除しに手伝いに行っていた。食事は救援物資やらコメやらはあったので困らなかったが、最初は「電気が回復しなかったら避難せなあかんね」とみんなで話していた。わりと早う電気が回復してよかった。ガスがなくならないかは心配だったけど。いつもは定期的にガス屋がくるけど道路が寸断されて来られなかったんで。2反あった田んぼは全滅。5年前もやられてまたやられた。もう農業もやめようかねと考えとる。そげまでしてつくらんでいいわ、と。地区の集会所で2日間、地区の女性5人が炊き出しをしていたので昼、夜と。まぜご飯をおにぎりにしたり、それぞれの家にあるタケノコを煮たりしてくれた。集会所には12、13人くらい集まってた。安心しましたね、おいしかったし。味もよし、おかずもよしで。普段から仲が良いので今回も助け合えた。みんなが協力して良かった。

 ■鈴連町集落

 大規模な山崩れで小野川がせき止められ、土砂ダムができた鈴連町に着いた。息をのむ光景が広がる。集落が水没し、田んぼと家々の境目が分からない。奥には山が頂上付近からえぐれていた。避難所から戻ってきた住民がしばらく立ちすくんでいた。

 井本龍雄さん(75)

 5日夜は自宅に泊まって6日にヘリで運ばれて(市中心部にある複合文化施設の)アオーゼにずっと避難しとる。知人とここまで来て、車を取りにきた。あと着の身着のままで来たから着替えもね。家は被害はなかったよ、少し高台にあるから。(土砂ダムと付近の水没状況を見て)毎日毎日眺めていた風景。すごいやろうが。相当、水の量がきたんやろね。とてもじゃねぇばい。風景が変わりすぎて、言葉が出ん。まだアオーゼで数日は過ごすことになるかな、まだ住めんやろ。でも、やっと家に戻れたな。1週間かかったわ。


=2017/07/14付 西日本新聞朝刊=

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