避難指示解除 帰還の願いがかなうまで

 ■東日本大震災6年■

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で6年になる。今春には原発事故による避難指示の一部が解除されることになった。被災地の復興に向けて一歩前進と受け止めたい。

 とはいえ、住民生活や地域経済の再建など課題は山積する。原発の廃炉には最大40年かかるという厳しい現実を踏まえれば、今回の避難指示解除はまだ小さな一歩というべきなのかもしれない。

 ●「終着点」はまだ遠く

 避難指示が解除されるのは今月31日に福島県浪江町、川俣町、飯舘村、次いで来月1日に富岡町の計4町村だ。年間の積算放射線量によって3区分された避難指示のうち、放射線量が比較的低い「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」が解除される。

 原発事故で避難指示が出たのは11市町村で、除染の進展とともに2014年以降、段階的に解除されてきた。今回の措置で居住制限区域と避難指示解除準備区域は全て解除され、放射線量の高い「帰還困難区域」だけが残る。

 その帰還困難区域は計7市町村にまたがる。本格的除染は未着手だが、政府は区域内に「特定復興拠点」を設け、17年度から国費で集中的に除染して22年をめどに指示解除の方針を打ち出した。

 そう聞くと、あたかも原発事故からの復興が「終着点」に近づいていると錯覚しそうだ。しかし、それがまだ遠い未来の話であることを被災地の現実が物語る。

 ●取り戻せない「日常」

 日本記者クラブの取材団に加わって先月、第1原発と周辺地域を訪ねた。避難指示解除に向けて富岡町が昨年11月に先行オープンさせた公設民営の複合商業施設「さくらモールとみおか」をのぞくと、営業していた飲食・総菜の3店舗は復興作業に従事する人たちでにぎわっていた。

 富岡町は最大21・6メートルの津波と原発事故に見舞われた。6年も住民が消えた町では、避難指示解除と言われても、いきなり以前の日常が取り戻せるわけではない。

 町は原発事故で撤退した商業施設を買い取り、さくらモールとして改装した。先行営業の飲食・総菜店とホームセンターに加え、今月30日にはスーパーとドラッグストアも開店する。昨年10月に週3日診療で開所した町立診療所は4月から週5日診療に拡大する。金融機関の支店も来月にかけて再開するそうだ。町役場は今月6日、郡山市の仮庁舎から戻ってきた。

 それでも最低限の生活インフラでしかない。最新の復興庁の富岡町住民調査で「戻りたい」と回答した世帯は16%で、「戻らない」と答えた世帯は58%に達した。同じ調査で「戻りたい」は川俣町44%、飯舘村34%、浪江町18%だった。

 既に避難指示が解除された5市町村の住民帰還率も、対象区域が狭い田村市の72%を除くと、葛尾村9%、楢葉町11%、南相馬市14%、川内村21%にとどまる。

 ●子どもの声が戻るよう

 川内村の遠藤雄幸村長は「古里に戻るのがどうしてこんなに難しいのか。課題を一つクリアするたびに次の課題にぶつかる」と語る。6年もたてば住民は当然、避難先で定着し始めている。除染は進んだが、放射線量の高い地点は残る。炉心溶融(メルトダウン)を起こした原発の廃炉への道のりは遠く、子どもを抱える家庭の不安はとりわけ大きい。

 インフラ整備は急ピッチと映る富岡町も教育や福祉など課題はまだ多い。先行きが見通せない中で、住民が現時点で悩み考え抜いた末の帰還希望が16%だ。齊藤紀明副町長は「数字に一喜一憂せず、腰を据えて取り組む」と話す。

 さくらモールの総菜店でチーフを務める田中美奈子さん(71)は、家族で避難する福島県いわき市に自宅を新築した。ただし富岡町を見限ったわけではない。いわき市在住富岡町自治会の代表でもある田中さんには、事故前に住んでいた家と土地が富岡町にある。

 富岡町といわき市を毎日往復する田中さんは「いつか若い人たちが帰ってきて、子どもたちの声が聞こえる町に戻ってほしい」と願う。戻りたいけど、まだ戻れない-避難住民が抱く古里への複雑で切実な思いに寄り添って、被災地の復興を応援していきたい。


=2017/03/09付 西日本新聞朝刊=

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