「ポスト平成」へ 平和こそ次世代への遺産

 私たちは今、どんな時代を生きているか。次世代への遺産として何を守り抜くべきか。

 2018(平成30)年の年頭に当たり、心に刻んでおきたいことがあります。

 国家の礎として平和憲法が定着し、戦争の過ちを一度も犯すことなく推移してきた時代-。それこそが「平成」であり、この崇高な営みを決して途絶えさせてはならない、という視座です。

 天皇陛下の退位に伴い、平成は来年4月末で幕を閉じます。その節目を前に、安倍晋三政権下では憲法改正の動きが本格化しています。北朝鮮の脅威を背景に防衛費は膨らみ、十分な議論がないまま自衛隊の装備の見直しなどが進んでいることも気掛かりです。

 平成の終わりが、ともすれば平和の終わりになりはしないか。時代は新たな正念場に差し掛かっている、と考えます。

 ●「光と影」を見据えて

 「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ」-。安倍政権は昨年来、こんなキャッチフレーズを掲げ、官民が連携した関連施策の推進を呼び掛けています。

 今年は明治維新から150年に当たります。立憲政治の導入や産業技術の革新など近代国家建設に貢献した人々の姿を振り返り、関連資料の保存、整理などを進めようという取り組みです。

 為政者が歴史と向き合うことは重要です。ただし、一時代の精神に特化した姿勢には危うさも覚えます。明治を起点に昭和前期まで日本が富国強兵の道を歩み、国内外に未曽有の惨禍をもたらした事実も忘れてはならないからです。

 戦後生まれが1億人を超えた今日、平成が「特別な時代」であることを広く認識してもらうためには、歴史の光と影の両面を真摯(しんし)に語り継ぐ姿勢が求められます。

 平成が始まった1989年は、世界史上も大きな分岐点でした。「ベルリンの壁崩壊」による東西冷戦の終結です。以来、国際社会はイデオロギー対立から脱却して協調を模索する時代に入ります。

 89年当時、バブル経済にあった日本も90年代に一転、成長神話が揺らぎ、国政の軌道修正を迫られます。自民の一党支配は崩れ、政治は従来の保革の枠組みを超えた「連立政治」へと移行します。

 そんな歴史の歯車が今、後戻りしていないか。国際社会ではグローバリズム(地球主義)とナショナリズム(国家主義)がせめぎ合い、「自国第一」を掲げたトランプ米政権の動きが波紋を広げています。国内では自民の一党支配が再来し、独善的な国政運営が続いている印象が否めません。

 ●九州の輝きも後世へ

 九州に目を転じると、平成はどんな時代なのか。年々深刻化する少子高齢化や人口の減少、災害の多発など、さまざまな苦難が続いています。熊本地震や福岡・大分両県に及んだ豪雨の被災地は今なお復興の途上にあります。

 それでも、先人たちが「九州は一つ」と唱えた理念は脈々と受け継がれ、この地域が輝きを増してきたことも事実です。

 官民挙げた誘致運動によって平成以降、高速道路網が整備され、新幹線のレールも鹿児島まで延びました。七つの県が一体となって地域戦略や観光振興を図る組織体が形成され、アジアとの経済交流も着実に広がっています。

 九州への外国人入国者はここ数年で飛躍的に増加し、昨年は中国や韓国の人々を中心に400万人規模に達しました。東アジア交流の最前線は九州であり、東アジアの平和と安定は九州の活力源でもあります。それを踏まえ、08年には福岡で日中韓首脳会談が開かれたことも想起されます。

 そうした郷土の歩みや役割を次世代に伝え、この地から平和の尊さを発信していく営みも絶やしてはならない、と思います。

 内政では少子高齢化、外交では北朝鮮や中国の脅威が懸案であることは確かです。安倍首相はこれらを「国難」と強調し、諸施策の「革命」を叫んでいます。

 しかし、改憲も含めて先を急ぐことが果たして「維新」なのか。歴史の教訓に照らせば、そこに落とし穴がありはしないか。

 時代の変わり目こそ、政治を監視するメディアは熟議・公論の輪を広げる役割を担わなければならない-。その使命も改めて、ここにつづります。


=2018/01/01付 西日本新聞朝刊=

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