【戦争への想像力】 平野 啓一郎さん

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家
平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家
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◆日常と原爆つなぐ「声」

 半径1キロの円というと、人はどの程度の区域を思い浮かべるだろうか? あるいは、2キロ、4キロ…となると?

 直線距離で1キロというと、歩いても大したことはないと思うだろう。半径4キロの円となると、もう自転車や車、電車での移動となろうが、いずれにせよそれらは、世界地図の上では区別のつけようもない小さな「点」である。

 長崎の原爆資料館を訪れて、その被害を、爆心地から「1キロ以内の区域(人畜は強力な爆発圧力および熱気によってほとんど即死……)」、「4~8キロ以内の区域(人畜は爆風にともなう飛散物によって一部重軽傷を負い……)」と同心円の距離によって解説する展示を見ながら、私はその意味について考えていた。

 このほぼ半径10キロ以内というスケールに接して、「意外と小さい」と感じる人がいるかもしれない。今し方述べた日常感覚もあれば、原爆投下という世界史的な事件との一種のギャップもあろう。更(さら)に威力を増した今日の最新の核兵器との比較も恐らくある。

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 原爆の非人道性は、幾ら強調してもし足りないが、第2次大戦後、人類がここまでその危機を巨大化させてきたのは、結局、広島や長崎の被害範囲を、世界地図上の「点」として見るような感覚の故かもしれない。核時代の殲滅(せんめつ)戦を戦略的に構想する人間にとっては、世界地図を広げ、相手国のどこかに、そんな赤い点を一つ打ってみたところで不安は収まらないだろう。では一体、どこまで破壊すれば安心なのか? この恐怖に駆られた妄想には際限がないが、それをなぜか「現実的」な思考だと見做(な)す者もいる。

 戦後72年を経て、戦争のリアリティーをどのようにしてつかむべきかが、昨今問題となっている。憂鬱(ゆううつ)なことに、それは既に失敗の兆候さえ見せている。

 私は長崎市を訪れる度に、いつもその町の美しさに心惹(ひ)かれる。海があり、周囲を山に囲まれて起伏があり、中華街や教会といった異国情緒があり、こぢんまりとしていて、全体に言い知れぬ穏やかさがある。人の言葉も優しい。被爆地として訪れた外国人の私の友人たちも、その観光地としての魅力に深く感動する。広島や長崎には、ぜひとも足を運ぶべきだが、それは何も、原爆被害の悲惨さを知るためだけではない。今の町の平穏こそは、核兵器への最も痛烈な批判の根拠である。

 同じ半径1キロの円と言っても、日常の世界と原爆投下後に出現する世界とでは、時空間の感覚はまったく違う。

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 1945年8月9日の意味を生涯考え続けた小説家の林京子さんが、今年の2月に亡くなられた。代表作「祭りの場」には、原爆投下直後、地獄と化した長崎の町で、瀕死(ひんし)の男性から薬を求められた主人公のこんな場面がある。

 「お医者さんを呼んであぐるけん、元気にしとかんばですよ、となぐさめると『だいでん、そげん言いなっと……ばってん来ならん』と言った。ばってん来ならん、男の言葉は今でも私の胸にある。男の怨念を感じる。」

 林さんの小説の被爆者たちが口にする長崎弁は、半径数キロ以内の日常世界に生きる人々が、人類史的な巨悪に見舞われた直後に発した言葉として、どの一つを採っても読者の胸を締めつける。それは、決して数字には抽象化されず、また世界地図にも反映されない、私たちが生身で、等身大で感じ取るべき声である。

 原爆が投下され、故郷が焦土と化した時、私たちは、自分の最も慣れ親しんだ方言で、誰に向け、どんなに言葉を発するだろうか? 私たちが考え始めるべきは、そうした地点からである。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年にデビュー作「日蝕」で芥川賞。近刊は作品集「透明な迷宮」、長編小説「マチネの終わりに」。


=2017/08/20付 西日本新聞朝刊=

 ※ネット上で、平野さんらによる林さんが亡くなる約3カ月前に行われたインタビューが聴ける(90分版は有料)。アドレスはhttps://note.mu/iibungaku/n/n87f4158f8837

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