【熊本地震から3年目】 姜 尚中さん

姜 尚中(カン・サンジュン)さん=熊本県立劇場館長
姜 尚中(カン・サンジュン)さん=熊本県立劇場館長
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◆脆弱性に耐える社会を

 あの熊本地震から丸2年が過ぎ、3年目を迎えた。2016年4月14日午後9時26分、建物ごと巨人の足で激しく蹴り上げられたような衝撃が、今も身体的な記憶としてよみがえることがある。

 熊本城を望むホテルの一室で被災した私は、前日は神戸で、その前の日は気仙沼で、そしてその前の日は島原(普賢岳)で、自然災害と復興について取材をしていたのである。ホテルの非常階段を下りながら、つくづくわが身の因果を感じたものだ。

 しかし、自然はまるで悪意に取り憑(つ)かれたように、16日の午前1時25分、再び熊本を襲った。最大震度はまたも7で、被害はより甚大だった。本震の報を熊本から離れた地で知った時、頭をよぎったのは、熊本の肉親、知人、そして県民の安否だった。同時に天災を取材しながらずっと脳裏にあったのは、文豪・夏目漱石の高弟で物理学者の寺田寅彦と、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックである。

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 関東大震災の経験を踏まえた寺田の名エッセー「天災と国防」。そして環境破壊や大気汚染、原発事故など、自分のしたことが自分に返って来る「自己回帰的な」構造を持つ社会を問題にしたベックの「危険(リスク)社会」。それらを念頭に雲仙・普賢岳噴火から阪神淡路大震災、新潟中越地震、さらに東日本大震災、そして熊本地震と、元号が平成に変わってから続発する巨大な自然災害を考えると、日本は、高度な産業社会ゆえに自然災害が激甚な災禍をもたらす脆弱(ぜいじゃく)な「リスク社会」であることが明らかになりつつある。

 脆弱性は、日本列島に生きる者にとって避けられない宿痾(しゅくあ)だ。確かに、コンピューターの不具合や設計ミスならば、セキュリティーの技術的進歩で乗り越えることは可能かもしれない。しかし、巨大地震の予知がほとんど不可能なことが分かりつつある現在、脆弱性をあらかじめ制御したり、極少化したりすることはほとんど不可能になっている。要するにお手上げ状態なのだ。

 被災地を実際に回ってみて、非力な現実を思い知らされた。そして同時に、この脆弱性を頑(かたく)なに拒み、抗(あらが)い、文明の巨大な細工に腐心していくのか、それとも脆弱性を受け入れ、天然に反抗する細工がより大きな災禍をもたらす、そのような「再帰的な」リスク社会のジレンマを脱却する方向へと向かうのか、その分岐点に立たされていることを痛感せざるを得なかった。

 すでに震災前から、日本の社会は少子高齢化とともに過疎化が進み、地域や階層間の格差が広がり、「定常化社会」への移行が避けられなくなりつつあった。日本はもはや「科学技術」の総動員によって生産力を高め、強国的な成長を追い求めることはできなくなっている。私の言葉で言えば「熱い近代」が終わり、それに代わる成熟社会の緩やかな「斜陽」の時代を迎えつつあったのである。そのキーワードは、脆弱性に耐えるということに尽きる。

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 寺田とベックから導き出される教訓は、日本列島に生きるということは、自然に対する脆弱性、文明の孕(はら)む脆弱性、そして高齢化に伴う脆弱性とともに生きるということだ。その弱さを受け入れる時に、私たちは自然に、人間にやさしい社会への入り口に立てることを意味している。もはや、巨大イベントや国家的プロジェクトなどによって脆弱性を乗り切ったという、ひと時の自惚(うぬぼ)れに浸っていられる時代は終わった。にもかかわらず、「熱い近代」よもう一度と、「富国強兵」型の、脆弱性に無感覚な社会へと向かうとすれば、それは自殺的な試みというべきではないか。

 熊本県が掲げる「創造的復興」は、そうした脆弱性に耐える、自然に、人にやさしい社会への一里塚になるに違いない。そう信じたい。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。4月から鎮西学院院長。専攻は政治学、政治思想史。著書に「漱石のことば」など。

=2018/04/16付 西日本新聞朝刊=

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