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深セン トウ小平の夢映す 中国・広東省 発展に道筋 市民親しみ

公園の山頂に立てられた〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏の銅像
公園の山頂に立てられた〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏の銅像
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公園に近い博物館では、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏と深〓(〓は「つちへん」に「川」)の歩みを描く常設の展示もあった
公園に近い博物館では、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏と深〓(〓は「つちへん」に「川」)の歩みを描く常設の展示もあった
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 「世界の工場」として中国の経済成長をけん引し、1億人以上の人口を抱える広東省。その代表的な都市である深〓(〓は「つちへん」に「川」)市は、かつての最高実力者、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏が経済特区に指定したことで、小さな漁村から大都市に生まれ変わった。亡くなって20年を過ぎた今も、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏への憧憬(しょうけい)の念が色濃く漂っている。 (北京・相本康一)

 深〓(〓は「つちへん」に「川」)市のほぼ真ん中に位置する蓮花山公園。緑豊かな小高い山を20分ほどかけて登ると、山頂に〓(〓は「登」に「おおざと」)氏の銅像があった。

 記念撮影を楽しむ観光客たちの多くが「小平」と口にしていた。かつての指導者、毛沢東氏を「毛主席」、周恩来氏を「総理」と呼ぶ言い方に比べると、いかに親しまれているかが分かる。

 銅像は南向きに立てられ、ちょうど高層ビルが林立する街並みが一望できる。案内してくれた地元の50代男性、張さん=仮名=は教えてくれた。「銅像の前に広がる光景は、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏の描いた夢そのものです。今ごろ喜んでいるでしょう」

     ■    ■

 深〓(〓は「つちへん」に「川」)はもともと宝安県という名で、地図にも載らないような集落だった。1979年に市に昇格し、80年に〓(〓は「登」に「おおざと」)氏の肝いりで中国初の経済特区に指定。以来、改革・開放の波に乗って急速に発展を遂げた。

 かつては夜の闇にまぎれ、隣接する香港に泳いで渡り、不法に働き口を探す
人が後を絶たなかったらしい。今や常住人口1千万人以上、全国から人々を吸引し続けている。

 「初めて香港に行くときは緊張しましたよ。当時の中国は事実上、鎖国でしたからね」。そう振り返る張さんは、もともと湖南省出身。国民党の兵士だった父親が内戦中に共産党に帰順し、広東省に南下、そのまま住み着いたという。

 幼い頃のつらい記憶は、毛沢東氏が主導した政治運動、文化大革命(66~76年)だ。「公職にあった父親は迫害され、工場で労働を強いられた。私も湖南省の祖母宅に避難しました」

 毛氏死去後、実権を握った〓(〓は「登」に「おおざと」)氏は文革を「誤り」と認め、市場経済を導入した。張さんは言う。「〓(〓は「登」に「おおざと」)氏以前の中国は昼間からマージャンをしながら政治談議ばかり。そんな国が豊かになるはずがないですよね」

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 日本人から見れば、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏にはもう一つの顔がある。89年6月、学生らの民主化運動を武力で弾圧することを決断した。世界を震撼(しんかん)させた天安門事件である。

 「残念な事件でした。でも、安定を優先したのでしょう。中国は当時、まだまだ豊かではなかった」。張さんは表情を曇らせた。

 アヘン戦争以来、欧米列強の蹂躙(じゅうりん)や日本との戦争に悩まされた中国。共産党による新しい国造りが始まった後も文革などで社会は混乱し、貧しい時代が続いた。中国の人々と話していて感じるのは、苦しい時代の記憶、そして安定を求める強い気持ちだ。〓(〓は「登」に「おおざと」)氏への憧れは、手にしつつある豊かさと表裏一体なのだろう。

 経済成長に陰りが見える中国は今、貧富の格差や環境汚染といった課題に直面している。張さんはそれを憂えつつ、繰り返した。「彼がいなければ、今の中国はない」

 ※見出しのセンは「つちへん」に「川」、トウは「登」に「おおざと」


=2017/03/20付 西日本新聞朝刊=

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