【ポイソ!釜山】東莱邑城 争いの傷痕、今に伝え

「東莱の歴史祭り」では、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に東莱邑城が攻められる様子を描いた野外ミュージカルもあった=10月末
「東莱の歴史祭り」では、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に東莱邑城が攻められる様子を描いた野外ミュージカルもあった=10月末
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朝鮮王朝当時の面影を残す東莱邑城の北門
朝鮮王朝当時の面影を残す東莱邑城の北門
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地下鉄寿安駅構内の歴史館には、かつての東莱邑城の模型が設置されている
地下鉄寿安駅構内の歴史館には、かつての東莱邑城の模型が設置されている
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 釜山市中心部から北側に位置する東莱(トンネ)は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592~98年)の朝鮮出兵で、最初の激戦地となった場所だ。

 朝鮮王朝の時代、この地域の行政を担う東莱府を、高さ約4メートルの城壁で取り囲むようにあった東莱邑城(ウプソン)。1592年の戦いで壊滅的な被害を受け、18世紀に再建された。1980年代から城壁や門などが修復され、今は公園となっている。公園内や地下鉄寿安(スアン)駅の構内には、争いの傷痕を感じられる歴史館がある。

 日本への外交使節団、朝鮮通信使が一時途絶えるきっかけとなった朝鮮出兵。東莱で毎年開かれている歴史祭りでは、東莱邑城が攻められる様子を再現したミュージカルも上演され、今も市民の「記憶」として受け継がれている。


=2017/11/27付 西日本新聞朝刊=

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