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高校柔道大会 金鷲旗
1916年(第1回大会)
4月23日に博多東中洲九州劇場(福岡市博多区)で、福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)主催による九州学生武道大会を開く。福岡県内から12校が参加。修猷館が優勝
1917年(第2回大会)
福岡武徳殿(福岡市中央区)で開催
1920年(第5回大会)
福岡市記念館(福岡市中央区)で開催。2日間の日程となり、佐賀、長崎から初めて参加。佐賀工(佐賀)が3位に入る
1921年(第6回大会)
中等学校武道大会に改称
1923年(第8回大会)
長崎(長崎)が福岡以外の学校としては初の決勝進出。勝った修猷館は6連覇を達成
1924年(第9回大会)
鹿児島県から初参加。以後九州各県、山口、朝鮮、満州、上海など参加が広がっていく。鹿児島商(鹿児島)が優勝し、初めて優勝旗が福岡県外に
1928年(第13回大会)
優勝鹿児島第二師範(鹿児島)、2位熊本第一師範(熊本)、3位宮崎師範(宮崎)と、福岡県勢以外が上位を独占
1929年(第14回大会)
東公園の新武徳殿(福岡市東区)で開催。朝鮮の京城師範や満州の長春商が参加
1931年(第16回大会)
東筑(福岡)が初優勝
1934年(第19回大会)
鎮西が初優勝し、優勝旗が初めて熊本に運ばれた
1936年(第21回大会)
3位に朝鮮の京城師範が入る
1937年(第22回大会)
嘉穂(福岡)が初優勝を果たす
1940年(第25回大会)
戦前最多の68校が参加。25周年を記念して各校の「大将個人優勝試合」も実施。総勢68人が参加し、豊国(福岡)の倉原重夫が優勝
1941年(第26回大会)
10月12日、西日本中等学校夏季錬成大会として開催。日米開戦の暗雲が広がる中、全国一斉の防空訓練の初日に行われる
1942年(第27回大会)
徐々に戦局が悪化。この年を最後に54年まで中断される
1943年(幻の昭和18年大会)
福岡県教育会主催の「福岡県中等学校体育訓練大会」として8月30日、福岡県内の学校のみが参加して9試合を行った。伝統の抜き勝負ではなく、点取り試合で実施。優勝久留米商、2位明善
1954年(第28回大会)
7月25、26日に武徳殿(福岡県警体育館)で開催。参加85校。戦中、戦後の中断を経て西日本高校柔道大会として、12年ぶりに伝統の抜き勝負が復活。福岡の主将、新森祥爾が「学生の本分を守り、正々堂々と健闘し、学生柔道の真価を発揮することを誓う」と選手宣誓。高校柔道の新たな幕開けを告げた。緑地に金の鷲が刺しゅうされた優勝旗が新調される
1955年(第29回大会)
参加103校。参加校が初めて100校を超える。全九州高校柔道選手権大会に改称
1956年(第30回大会)
福岡スポーツセンター(福岡市中央区)で開催。参加134校。九州だけでなく、近畿、中国、四国の各県からも参加。大会名を西日本高校柔道大会に
1958年(第32回大会)
九州、中国、四国各高体連の申し合わせにより九州近県高校柔道大会に改称。参加は九州各県と山口、島根、愛媛の10県に限られる
1959年(第33回大会)
参加138校。優勝旗の図柄にちなみ金鷲旗争奪高校柔道大会に改称。参加を九州7県に絞り、NHK福岡放送局が準決勝と決勝をテレビ放映。大将坂口征二擁する南筑(福岡)が初優勝
1961年(第35回大会)
大塚義夫(久留米商)が16人抜きを達成。RKB毎日放送もテレビ放映をした
1963年(第37回大会)
この年より優勝校に文部大臣賞を贈呈。園田義男・勇兄弟の福岡電波が初優勝
1964年(第38回大会)
九電記念体育館(福岡市中央区)で開催
1967年(第41回大会)
参加181校。西日本新聞創刊90周年を記念して中国地方の高校を招待
1972年(第46回大会)
福岡市民体育館(福岡市博多区)で開催。222校が参加、初めて200校を超える。西日本新聞創刊95周年を記念して常陸宮ご夫妻を招く。全日本柔道連盟の後援を得て金鷲旗高校柔道全国大会に改称。九州以外から有力12校を招待。5月に本土復帰した沖縄からも2校が参加
1973年(第47回大会)
金鷲旗高校柔道大会に改称。参加制限をなくし全国オープン自由参加に。84年のロス五輪で金メダルを獲得、全日本選手権9連覇、203連勝の金字塔を打ち立てる山下泰裕(熊本・九州学院)が初お目見え。3位に入り、翌年はチームを初優勝へとけん引
1975年(第49回大会)
転校した山下が大将に座った東海大相模(神奈川)が初優勝。金鷲旗が初めて関門海峡を渡る。山下は3年間で32勝1敗。テレビ西日本をキーステーションに九州8局でテレビ放映開始
1976年(第50回大会)
九州学院が優勝し、金鷲旗を九州に奪還
1977年(第51回大会)
北海道から初めての参加となる東海大四が4回戦で惜敗。北は北海道、南は沖縄が参加し、名実ともに全国大会となる。現全日本男子監督の斉藤仁が国士舘(東京)の副将で登場。3位に入り、翌年は大将で準優勝
1979年(第53回大会)
大会史上初めて決勝は九州以外の高校同士の対決となり、東海大四が東海大相模を破って優勝、金鷲旗が初めて津軽海峡を越える。2日目にテレビ西日本をキーステーションに全国15局ネットで放映。九州以外からの参加が50校を超える
1980年(第54回大会)
東海大五(福岡)の初優勝で、再び九州に金鷲旗を取り戻す。競技規定改定により赤畳を敷設
1981年(第55回大会)
嘉穂が創立80周年を12年ぶりの優勝で飾る
1982年(第56回大会)
世田谷学園(東京)が初優勝。この年から17年間も九州勢は優勝から遠ざかる
1983年(第57回大会)
福岡国際センター(福岡市博多区)に会場を移す。ベスト8に九州勢は2校、ベスト4はすべて九州以外。「柔道王国九州」が揺れる
1984年(第58回大会)
後の「平成の三四郎」古賀稔彦が背負い投げを武器に大活躍。世田谷学園を優勝に導く
1987年(第61回大会)
92年のバルセロナ五輪で78キロ級金メダルに輝く吉田秀彦が世田谷学園の連覇を、戦後初の「4」に伸ばす。西日本新聞創刊110周年を記念し女子の個人戦を新設。101校から222人が参加し、松戸馬橋(千葉)の鈴木香が優勝
1989年(第63回大会)
男子は308校が出場。参加校数が初めて300を超える
1990年(第64回大会)
女子が3人制の点取り試合による団体戦に。初代女王は柳川(福岡)
1991年(第65回大会)
沖縄県勢として初めて沖縄尚学が決勝に進出し準優勝
1993年(第67回大会)
谷亮子が福岡工大付(福岡)の先鋒として登場、会場を沸かせた
1994年(第68回大会)
女子団体戦が男子と同じ抜き勝負の5人制となる。全国高体連の規約改正で参加枠を拡大、高等専門学校、朝鮮高級学校が初出場。シドニー五輪で金メダルを獲得する井上康生(東海大相模)が初めて挑み準優勝
1996年(第70回大会)
世田谷学園が5連覇
1997年(第71回大会)
マリンメッセ福岡(福岡市博多区)で開催。高校生以下の入場料がこの年から無料になる。アテネ五輪で100キロ超級金メダルに輝く鈴木桂治が大将として国士舘の初優勝に貢献
1998年(第72回大会)
世田谷学園の大将、棟田康幸が決勝では史上初の4人抜きを演じる
1999年(第73回大会)
東海大二(熊本)が初優勝、18年ぶりに九州へ大旗が戻る。女子金鷲旗が土浦日大(茨城)の優勝で初めて関門海峡を渡った
2000年(第74回大会)
国士舘が優勝、またしても金鷲旗が関門海峡を越える
2001年(第75回大会)
水泳の世界選手権開催のため、5年ぶりに国際センターで開催
2002年(第76回大会)
会場をマリンメッセ福岡に戻す
2003年(第77回大会)
対戦表が電光スクリーン表示に
2004年(第78回大会)
九州勢が初めてベスト8に1校も残れず
2005年(第79回大会)
九州勢は苦戦。男子・桐蔭学園(神奈川)、女子・埼玉栄(埼玉)がともに初優勝を飾る
2006年
第80回の記念大会が開催される
  • >> 決勝パートダイジェスト動画
                     女子  男子 
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