抜き勝負で日本一を争う金鷲旗高校柔道大会が、80回の記念大会を迎える。山下泰裕、斉藤仁、古賀稔彦、小川直也、吉田秀彦、井上康生、谷亮子…。金鷲旗は五輪や世界選手権のメダリストを数多く輩出し、これからも送り出していく。その歴史はまさに、日本柔道の歴史そのもの。福岡の青畳から羽ばたいた選手、大会の歴史を紹介する。
(敬称略、校名などはすべて当時)
日本柔道の神髄 金鷲旗にあり 一本を目指す心はぐくめ
藤田弘明大会会長

大会会長の藤田弘明(九州柔道協会会長)は、戦後に再開された54年の第28回大会と翌年の第29回大会に豊国(福岡)から出場。日大を卒業し福岡へ戻った60年からは毎年、次代のホープたちの戦いを見守っている。
「抜き勝負。大将同士がそのまま延長で戦う決着方式。これが金鷲旗の背骨だ。抜き続けるためには一本を取らないとスタミナがもたない。抜かれたら抜き返さないといけない。金鷲旗に出場すれば、日本柔道が求めているものが必然的に身に着く。日本柔道の原点は金鷲旗にある」
来年以降は海外のチームが参加し、金鷲旗は国際大会となる予定だ。藤田は韓国や中国、台湾などの連盟に「たくさんのチームを送り出してほしい」と要請し、新時代へ向け尽力する。
国際ルールで実施し、現在の講道館ルールとは畳の広さや抑え込みの秒数などが変わるが「効果」は取らず、ポイントは現行の「有効」以上しか認めない。「日本柔道が目指すのはあくまでも一本。その精神を金鷲旗ではぐくんでほしい」と藤田は願う。
大旗を目指し 北から南から
79年の第53回大会で東海大四(北海道)が初優勝を飾り、金鷲旗は津軽海峡を渡った。先鋒だった須貝等は85、87年の世界選手権で2連覇。88年のソウル五輪にも出場した。「九州以外のチームの優勝を許さない雰囲気があって…。やじを浴びた怖い体験と九州の暑さが忘れられない」と苦笑いで振り返る。
その12年後の第65回大会では真喜志慶治と阿嘉宗彦の大型コンビを擁した沖縄尚学が、沖縄県勢として初めて決勝に進出。阿嘉の負傷で優勝は逃したが、旋風を巻き起こした。高校卒業後は真喜志が97年の世界選手権で銀メダル。角界に入門した阿嘉は「若ノ城」のしこ名で幕内で活躍した。
須貝は北海道の、真喜志と阿嘉は沖縄の後輩たちの大暴れを待っている。