監督に恩返し一丸 惜敗の九国大付ナイン 夏の甲子園

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 夏の甲子園大会で、福岡代表の九国大付は19日、優勝候補の帝京(東東京)に惜敗し、ベスト8入りはならなかった。それでも1、2回戦の逆転劇や、帝京を最後まで追い詰めた戦いぶりは、全国の高校野球ファンを大いに沸かせた。奮闘したナインには、病気の後遺症で体調が思わしくない中、指導に情熱を傾ける若生正広監督(58)に「恩返しをしたい」という強い思いがあった。


■後遺症押しての指導、感謝 若生監督「いいチームになった」

 現在の3年生が1年生だった2007年8月、若生監督は突然、下半身に力が入らなくなる症状に襲われた。原因不明の「胸椎黄色靱帯(きょうついおうしょくじんたい)骨化症」と呼ばれる靱帯の病気と診断され、家族が住む仙台市内の病院で緊急手術を受けた。

 1カ月半の入院生活。埼玉栄(埼玉)、東北(宮城)と全国の強豪校でコーチや監督を務め、03年夏には現プロ野球・北海道日本ハムのダルビッシュ有投手を擁し東北を準優勝に導くなど約20年間、高校野球の指導に力を注ぐ中で病気による長期離脱は初めてだった。

 「野球はもう終わりにしたら」。家族からは何度も言われた。そのたびに福岡に残してきた選手たちの顔が浮かんだ。「勝つまでは終われない」

 退院後すぐに福岡に戻り、グラウンドに復帰。並行してリハビリを続け、つえがあれば歩けるまで回復した。ナインは監督の手助けを心掛けた。立ち上がったり歩いたりがつらい監督に対し、練習や試合中に誰かが常に横にいて、手や肩を貸すことを徹底した。「少しでも楽にしたかった」(小林知弘主将)

 19日の帝京戦。選手たちは懸命にプレーしたが「監督を僕たちが日本一にする」との誓いを果たせなかった。それでも若生監督は言った。「強豪校に力負けしていなかった。いいチームに成長した」

【写真】帝京戦で、ベンチからナインに指示を出す九国大付の若生監督(右)=19日午後、兵庫県西宮市の甲子園球場

=2009/08/20付 西日本新聞朝刊=

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