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【西スポ・甲子園ベンチ裏】逆転惜敗の聖心ウルスラ学園 “宮崎県産”チームに異色の大阪出身 三塁コーチで浪花節

9回無死、右本塁打を放った聖心ウルスラ学園・請関(左)を笑顔で出迎える三塁コーチャーの浜内(中央)
9回無死、右本塁打を放った聖心ウルスラ学園・請関(左)を笑顔で出迎える三塁コーチャーの浜内(中央)
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 ちぎれんばかりに腕を回し、味方のヒットを喜んだ。それが仕事だ。地元関西、甲子園の大舞台。聖心ウルスラ学園(宮崎)の浜内侑良(3年)は三塁コーチとして、完全燃焼した。

 聖光学院(福島)との2回戦。2回、3人の走者の生還を後押しした。「1回戦(早稲田佐賀戦)は迷いもあったけど、今日は全力でやれました」。その後、逆転された。2点を追う9回に先頭打者のソロで追い上げたが、そこまで。自身は宮崎大会も通じ、試合出場なく最後の夏を終えた。

 「複雑な気持ちもあります。でも、ベンチに入れなかった仲間だっている。下は向けません。堂々とプレーできました。後悔はないです。野球はここまで。高校までと決めてました」

 地元出身者が占めるベンチ入りメンバー18人で、ただ一人県外、大阪市出身。小学6年時に日本選抜に入り、中学3年時には軟式野球の生野ファイターズで、近畿大会2度の準優勝を経験した投手だった。

 次のステージでは「毎年強い大阪の高校を倒したい」と思い立った。中3春の大阪大会で優勝候補を倒し、周囲を騒然とさせた快感もあった。希望をチームの監督に相談すると、つてを頼って話を聞いて回ってくれた。勧められたのが、聖心ウルスラ学園だった。

 請われたわけではないから、一般入試での入学だった。投手として伸び悩みが見え、初めての寮生活にもまだ四苦八苦していた1年夏。待っていたのは、内野手転向の勧告だった。「最初は悩みました」。小学1年時から甲子園へ連れて行ってくれた、阪神ファンの父智也さんに電話した。

 相談ではない。覚悟するためだった。もともと宮崎に飛び込む前、念を押されていた。「投手のままいけるとは限らん。むしろ、その確率は低いと思う。それでも最後までやり通す覚悟があるなら、ええぞ」。約束だった。「バッティングも自信あったんで。バッティングで生きていこうと決めました」と前を向いた。

 ボテボテのゴロでも凡フライでも、全力疾走を自分に課した。最後まで1桁の背番号は手にできなかった。「今、思えば、しんどかった思いの方が多いです。でも、甲子園に立てた。幸せな高校野球生活でした。もっと、この仲間とやりたかった…」。悔しさと充実感が、目から流れ出た。

 大阪出身という理由だけで「笑わせて」と求められてきた。「むちゃぶりばっかり。でも応えてきましたよ」。オードリー・春日の「鬼瓦!」など、顔芸が十八番。この大会中、食事会場でピスタチオ味のアイスが出ると、お笑いコンビ・ピスタチオが漫才で見せるように白目をむいた。笑いでムードをつくってきた。

 「ときには自分の意見を押し殺してでも、周りに合わせる」。それを高校野球で学んだ。もともと自己主張が強かった。その個性を交ぜながら、チームを下支えする働きを知った。地元関西の大学に進んで勉学に励み、サラリーマンとして一旗揚げる未来を描く。

=2017/08/17 西日本スポーツ=

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