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軍艦島の歴史History

軍艦島 世界遺産への歩み

長崎港から南西20キロメートルほどの海上に浮かぶ無人の島「端島(はしま)」。
1890年に三菱が本格的な採炭を開始した海底炭鉱によって栄えた。わずかな土地に林立した鉄筋コンクリート造の住居群と護岸壁により、その姿が旧日本海軍の軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれている。最盛期の1960年は約5300人が暮らし、人口密度は東京の約9倍。1974年の閉山後は無人島になり廃虚となった。

2003年、元住民らによる「軍艦島を世界遺産にする会」発足を契機に、日本の近代化を支えた産業遺産として価値が見直され、世界遺産登録に向けた動きが加速。2009年には見学路などが整備され、原則禁止だった上陸が解禁された。

2013年、日本政府は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の2015年の世界文化遺産登録を目指し「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県)を推薦すると正式に発表。2015年4月、ユネスコの諮問機関は、名称を「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」に変更した上で世界文化遺産に登録するよう勧告した。

いわゆる「廃虚」として人気を集め、連日多くの観光客が訪れている。風化が進む建造物の保存が課題となっているが、現在の技術では保存困難といわれている。

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県西彼高島町(本社機から)

  • 端島鉱バレーボールチームの練習=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の広場で開かれる市場=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島の子供たち=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 三菱端島鉱=1956年(昭和31年)4月5日、長崎県高島町端島

  • 長崎県西彼杵郡高島町端島(本社機から)=1963年(昭和38年)9月25日

  • 長崎県西彼杵郡高島町端島(本社機から)=1963年(昭和38年)9月25日

  • 長崎県西彼杵郡高島町端島(本社機から)=1963年(昭和38年)9月25日

  • 長崎県西彼杵郡高島町端島(本社機から)=1963年(昭和38年)9月25日

  • 「軍艦島」端島鉱の閉山式=1974年(昭和49年)1月16日

  • 空から見た軍艦島=2014年8月25日

  • 海から見た軍艦島=2014年8月25日

  • かつて市場が開かれていた通り=2014年8月25日

  • 小中学校の教室跡=2014年8月25日

  • 病院の跡=2014年8月25日

  • 日給住宅の中庭=2014年8月25日

  • 日給住宅の中庭=2014年8月25日

  • 30号棟=2014年8月25日