戦後70年 ~証言をつなぐ~

九州各地に刻まれた戦争の記憶と傷痕。それは多世代や地域を結び直し、今この 時代を考える一つの扉なのかもしれない。戦争とは何だったのか。証言をつなぎ、実像に迫る。

戦後70年 -報国のペン 戦争と西日本新聞-を読む

 70年前に終わった戦争中、新聞はメディアの主流だった。だが、軍部による情報統制を前に、事実を正しく伝えていたとは言い難い。積極的に戦意高揚に加担する「報国」の側面も徐々に強まっていった。1931年の満州事変から終戦までの間、西日本新聞と前身の福岡日日新聞、九州日報は何をどう伝えたのか。節目の紙面をなぞり、当時の報道を振り返ってみた。

戦後70年 証言をつなぐ vol.10

 平和を求めて被爆体験を語り続ける人、放射線の家族への影響に不安を拭いきれない人…。戦後70年を経てもなお原爆被害は体験者の上に重くのしかかり、その心中には「再び被爆者を生まないでほしい」という願いが満ちている。被爆地の外で暮らしてきた被爆者たちの体験をつづった。

戦後70年 証言をつなぐ vol.9

 親元を離れ、死と隣り合わせの危険な海を渡った子どもたち。学童集団疎開した各地で、彼らは土地の人々とどう暮らしたのか。そして、荒廃した古里に戻り、戦後をどう生き抜いたのか。疎開した人や受け入れ先の人の記憶から、戦争の嵐に踏みにじられた子どもたちの姿をつづった。

戦後70年 証言をつなぐ vol.8

 空襲の中を命懸けで逃げた障害者、戦闘で心身に傷を負った兵士…。その全容を確かめるすべはないが、日中戦争や太平洋戦争で負傷、病気になった元軍人などでつくる日本傷痍(しょうい)軍人会(2013年11月末解散)の最も多いときの会員は約35万人に上り、戦争に踏みにじられた全ての障害者数はそれを大きく上回るとみられる。障害と共に、戦中、戦後を生き抜いた人たちの声を集めた。

戦後70年 証言をつなぐ vol.7

 終戦から70年を迎え、戦争体験を証言する人たちが少なくなる中、残されたものから私たちは何を学び、どう未来に生かせばよいのか、識者に聞いた。また戦争に関する品々を展示し、公設の資料館とは別に運営されている、九州各地の個性的な私設資料館を紹介する。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.6

 1941年12月8日午前1時半。太平洋戦争は真珠湾攻撃より約2時間早く、マレーシア北東部のコタバルという港町への上陸作戦から始まった。 「あの戦争に負くることは想像もつかんかったし、これは正しい戦争だと信じて疑わんかった。思えば、あれが間違いの始まりじゃった」。福岡県八女市の古澤健児さん(94)は約5500人の上陸部隊に加わったあの夜のことを今も鮮明に覚えている。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.5

 戦争は終わったのに、平和は訪れなかった。戦時中、日本はアジア・太平洋地域に支配地を拡大。それとともに多くの日本人が海外で生活した。1945年の終戦時、その数は軍人、民間人合わせて700万人近く。終戦直前にソ連軍が侵攻した旧満州(中国東北部)や樺太(現サハリン)では、戦闘の犠牲になったり、逃避行の中、感染症や飢餓に見舞われたりして、多くの命が奪われた。国や地域によって状況は異なるが、それぞれに引き揚げの苦難があった。命懸けで祖国に戻った人々。その証言からは、戦争が引き起こす悲劇の実像が伝わってくる。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.4

 先の大戦では西太平洋の島々を含むアジア全域で戦闘が行われた。戦争末期には南方戦線などで過酷な戦いが繰り広げられ、兵士たちは食料が枯渇した中、餓死との境界線でジャングルをさまよったり、負傷や感染症に苦しんだりしながら仲間の支えで敗走した。体験者の証言からは、戦場の生々しい実態が浮かび上がってくる。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.3

 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」-。昭和天皇は1945年8月15日正午、ラジオを通じて日本の敗戦を国民に告げた。満州事変から日中戦争、太平洋戦争と拡大した戦局は14年におよび、空前絶後の310万人が犠牲となった。不戦を誓った戦後日本の原点「8・15」。九州ゆかりの戦争体験者は、歴史的な一日をどう過ごしたのか。証言を基に再現する。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.2

 太平洋戦争末期に編成され、爆弾もろとも敵艦に体当たりする特攻。隊員のほとんどは20歳前後の若者で、学徒兵の姿も目立った。生還を前提としない作戦が始まって今年で70年。出撃体験を持ち、生き残った元隊員や、出撃命令を待ち続けた元搭乗員、それに特攻で身内を亡くした遺族などに、今の思いを聞いた。

戦後70年へ 証言をつなぐ vol.1

 「火の雨が降った」。生存者はそう語り継ぐ。1945年6月19日午後11時すぎから始まった福岡大空襲。約2時間近く続いた結果、町は焼き払われ、被災者は約6万人を超えたとされる。被災の記憶を人々はどう抱え、戦後70年の節目を迎えようとしているのか。九州各地の空襲体験者たちも含め証言に耳を傾けた。