戦後70年へ ~証言をつなぐ~

敗戦 絶望と希望

1945年8月15日、玉音放送を聞いたあと皇居前にひれ伏す人たち

1945年8月15日付の西日本新聞の一部。この日の新聞発行は、玉音放送後に解禁され、午後に配達された

帰らぬ父の墓に一心に頭を垂れる幼女と母親 =福岡市博多区御供所町の聖福寺境内(同16日紙面から)

1945年8月15日

 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」-。昭和天皇は1945年8月15日正午、ラジオを通じて日本の敗戦を国民に告げた。満州事変から日中戦争、太平洋戦争と拡大した戦局は14年におよび、空前絶後の310万人が犠牲となった。不戦を誓った戦後日本の原点「8・15」。九州ゆかりの戦争体験者は、歴史的な一日をどう過ごしたのか。証言を基に再現する。

「白昼夢」長い一日
 抜けるような青空の、とても暑い日だった-。九州各地で終戦を迎えた戦争体験者の多くは、こう証言する。69年前の「8・15」。福岡県春日市の大野一三さん(84)にとっては「白昼夢を見ているような
「切腹する」父錯乱
 「ラジオの音がガーガーと割れ、よく聞こえなかった」「何を言っているか、分からなかった」。玉音放送に耳を傾けた人たちの多くは、こう証言する。
昭和天皇「人の声」
 「握り拳を膝に打ち付ける者、涙を止められない者がいた」。敗戦にうちひしがれる軍人たちの姿を記憶する人がいる一方、当時の微妙な空気を映し出す証言もある。

玉音放送の全文

 終戦の詔書(しょうしょ)は、1945年8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定されたのを受け、発布された。翌15日には、昭和天皇が詔書を読み上げた玉音(ぎょくおん)放送がラジオで流れた。郷学研修所・安岡正篤記念館(埼玉県)の助言を受け、全文と現代語訳を紹介する。


取材班 野村創、上野洋光、竹次稔、河津由紀子、川口安子、古川努、鶴善行、鎌田真一郎、穴井友梨、山下航