戦後70年へ ~証言をつなぐ~ vol5

残留の姉 再会後に壁

母娘でも通じぬ言葉

中国から引き揚げ 大隈康子さん(70)

引き揚げ証明書に記載されている宏子さんと康子さんの名前

引き揚げ証明書に記載されている宏子さんと康子さんの名前

 「ああ宏子かあ」「ママ、じぇんき(元気)?」「大丈夫よ」。中国から時折かかる電話で交わす言葉はそれが精いっぱい。片言の日本語のやりとりで、母と姉は懸命に親子の絆を確かめ合ってきた。
 「声を聞くだけでよかったんです。それで幸せだったと思う。2人とも」。大隈康子さん(70)=福岡県広川町=は、自分に言い聞かせるように話した。
 姉の宏子さん(71)は中国・大連市で暮らす。終戦後間もなく大陸で生き別れた、いわゆる残留孤児だ。31年前に再会を果たした。

引き揚げ 極限の生

「人間というものは、いつ何をするか分からない」

作家・五木寛之さん、体験を語る

作家・五木寛之さん

ソ連軍侵攻を受けた時の家族の様子などについては「忘れよう、忘れようと、努めてきたことですから」=11月5日、東京都内

 1945年8月15日に太平洋戦争が終わると、戦場や植民地支配下だった「外地」には、兵士と民間人合わせて700万人近くが取り残された。「開拓団」「銃後の民」などと称され、日本から移住した家族にとって、それは苦難の人生の始まりだった。混乱の中、中国大陸や朝鮮半島で引き裂かれた家族からは、残留孤児・婦人が相次いだ。日本に引き揚げた家族も、無一文からの生活再建はいばらの道だった。戦争の20世紀がもたらした空前の難民と民族大移動。朝鮮半島から引き揚げてきた作家の五木寛之さん(82)は、その証言者でもある。五木さんはその原体験や記憶を心の底に刻み、膨大な著作群を生み出していった。

棄てられ 全て奪われ

 戦争は終わったのに、平和は訪れなかった。戦時中、日本はアジア・太平洋地域に支配地を拡大。それとともに多くの日本人が海外で生活した。1945年の終戦時、その数は軍人、民間人合わせて700万人近く。終戦直前にソ連軍が侵攻した旧満州(中国東北部)や樺太(現サハリン)では、戦闘の犠牲になったり、逃避行の中、感染症や飢餓に見舞われたりして、多くの命が奪われた。国や地域によって状況は異なるが、それぞれに引き揚げの苦難があった。命懸けで祖国に戻った人々。その証言からは、戦争が引き起こす悲劇の実像が伝わってくる。

旧満州

旧満州マップ 1931年に始まった満州事変によって日本が占領した中国東北部をいう。日本は32年、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を執政としたかいらい国家の満州国を建設。溥儀は帝政移行後に皇帝となった。日本政府は全国の貧しい農村から移住者を募り、「満蒙(まんもう)開拓団」として27万人の開拓移民を送り込んだ。45年8月9日にソ連軍が侵攻した際には、多くの民間人が犠牲になった。さらに日本兵や民間人がシベリアなどに抑留されたほか、親とはぐれるなどして現地に取り残された子どもたちが残留孤児となるなど、戦後に多くの問題を残した。

朝鮮

朝鮮マップ 1910年に韓国併合をした日本は、朝鮮総督府を設置、朝鮮半島を植民地支配した。終戦前に旧満州に侵攻したソ連軍は、ほぼ同時に朝鮮にも侵入。ソ連と朝鮮半島の国境地帯を中心に大きな混乱が起きた。終戦直前、米国は北緯38度線を境に以北をソ連、以南を米国が占領し日本軍の武装解除を進める方針を決定。日本の植民地支配から解放された半島が北朝鮮、韓国に分かれる遠因となった。戦争末期、米軍の済州島上陸作戦を予想した日本軍は半島南部で兵力を増強し、北部に対して南部は比較的混乱が少なかったとされる。

樺太(サハリン)

樺太マップ 日露戦争後、ポーツマス条約締結(1905年)に伴い、南樺太を譲渡された日本が樺太庁を設置。製紙・パルプ、石炭などの産業化を進め、北海道、東北、沖縄などからの移住が進んだ。昭和期のピーク時人口は40万人超。朝鮮半島からの労働者も約4万人とされる。ソ連軍の攻撃は45年8月11日ごろから激化。終戦後も続き、引き揚げ船3隻が撃沈され、約1700人が死亡。軍人・軍属約2400人、民間人約3700人が亡くなったとされる。戦後も31万人以上が島内での生活、労働を強いられ、引き揚げは49年まで続いた。

空前の難民

苦難の帰国、600万人超

海外から日本への引き揚げ

 湾岸の森を突き抜け、3基の塔がそそり立つ。長崎県佐世保市針尾地区に残る旧佐世保無線電信所(高さ136メートル)。1941年12月8日の開戦を告げる暗号無線「ニイタカヤマノボレ1208」は、ここから打電されたとされる。
 その一山越えた高台に「浦頭(うらがしら)引揚記念資料館」はある。今は瀬渡し船の発着基地になっている浦頭港には戦後、引き揚げ船が次々と接岸。空前の難民が押し寄せた。その数、約5年間で軍人・軍属、民間人を含めて約140万人。中国、朝鮮半島に近い九州の引き揚げ窓口として、博多港(福岡市)と並び二大拠点となった。

取材 佐藤倫之、木下悟、植田祐一、森井徹、丹村智子 グラフィックス制作 下川光二 写真 佐藤雄太朗、岡部拓也 ウェブ制作 矢野由香(メディアプラネット)