戦後70年へ ~証言をつなぐ~

障害ではなく時代が憎い

身ぶり手ぶりを加えて体験を語る上村慶子さん=鹿児島市(撮影・古瀬哲裕)

まひ治療中、医師は戦場へ

 パステルカラーのカーディガンがよく似合う。鹿児島市のデイサービス施設を訪ねると、上村(かみむら)慶子さん(76)が電動車いすで迎えてくれた。職員に「おしゃれにしとるね」と声を掛けられ、ちょっと照れながら。

 今回の「証言をつなぐ」特集のテーマは「障害者と戦争」。上村さんも四肢や顔に障害があり、もう70年以上、歩いていない。

「戦争がなければ歩いていたかもしれないんです。情けないですよ」

 真っ先に振り返ったのは6歳、1944年ごろの出来事だった。生後すぐ、足がまひして力が入らなくなっていたが、母の親戚に医師がいて、専門的な治療を受けるチャンスが巡ってきた。激痛で泣きわめくほどだった施術の直後は、立って1歩、2歩、3歩、足を前に進めることができた。

戦時「弱者」は非国民

「菊池恵楓園」生を問い

「穀潰しが」 元患者、社会から隔絶

500本の桜が菊池恵楓園を春に染めた。戦後70年、元患者たちはそれぞれの記憶を重ね、薄紅の花をめでた

500本の桜が菊池恵楓園を春に染めた。戦後70年、元患者たちはそれぞれの記憶を重ね、薄紅の花をめでた

 そのころはもう、毎日のように空を行く米軍機を見上げていた。だが、病者である自分たちが標的になるとは、思ってもみなかったという。太平洋戦争末期、ハンセン病患者約千人が強制収容されていた「菊池恵楓園」(熊本県合志市)にも空襲はあった。

 1945年5月13日午後3時ごろ。数十機の米軍機は機銃掃射に加え、20キロ爆弾6発を投下した。6棟が倒壊、防空壕(ごう)に避難した8人が生き埋めになり、うち2人が窒息死した。旧日本陸軍の飛行場が隣接していた。療養所にとって最初で最後の空襲だった。

消えることない、静かな激情 詠む

園内最高齢105歳 畑野むめさん

園内最高齢105歳の畑野むめさんは、辛苦の人生を短歌に詠み続けた。失明し、耳も遠くなったが、言葉はしっかりしていた

園内最高齢105歳の畑野むめさんは、辛苦の人生を短歌に詠み続けた。失明し、耳も遠くなったが、言葉はしっかりしていた

 巡り来た春が園内500本の桜を染めた。入所者で最高齢105歳の畑野むめさんは、歌人としても知られる。視力を失い、耳も遠くなったが、張りのある声と朗らかな人柄は今も変わらない。一人の人間として、女性として、波乱の人生を歩んだ。戦後70年、その心に映る桜の風景は。3月末、車いすで花見に出掛けたむめさんに同行した。

 「気持ちがいいなー。外の空気は違うよ」

 六分咲きの桜並木が広がる。その様子を、車いすを押す女性職員が耳元で伝えると、むめさんは「サクラ、サクラ」と歌い始めた。

精神障害 かなわぬ「復員」

肥前療養所に長期入院

 空襲の中を命懸けで逃げた障害者、戦闘で心身に傷を負った兵士…。その全容を確かめるすべはないが、日中戦争や太平洋戦争で負傷、病気になった元軍人などでつくる日本傷痍(しょうい)軍人会(2013年11月末解散)の最も多いときの会員は約35万人に上り、戦争に踏みにじられた全ての障害者数はそれを大きく上回るとみられる。障害と共に、戦中、戦後を生き抜いた人たちの声を集めた。

沖縄戦 無音の地獄絵図

激高の兵隊 脳裏離れず
暗闇の中、家族と避難

西平 ナヘさん(83)

防空壕生活 被爆死逃れ

全盲、長崎爆心地1.8キロに自宅

今泉 一馬さん(85)

健常者に負けたくない

負傷兵をマッサージ治療

田久保 龍三さん(87)

夫の苦しみ 一生続いた

傷病軍人支えた妻

江口 シオルさん(92)

 戦争の進行の中で、障害者はどう人権の侵害を受け、どんな行動を強いられたのか。また戦後も、戦争による傷でどう苦しみ続けたのか。そして、私たちは障害を通して戦争をどう捉え、行動すればいいのか。精神障害者をガス室で殺りくし、ユダヤ人虐殺に至ったドイツの歴史から考えるとともに、日本の専門家2人の分析を紹介する。

障害者「安楽死」7万人

ドイツ・ハダマー、「罪」伝える記念館

ハダマー記念館。正面入り口を入って右側部分1階と地下が記念館になっている

ナチス、悪魔の優生学

 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人虐殺より前に、精神障害者らを「安楽死」させる抹殺計画を実行していた。フランクフルトから電車を乗り継いで約1時間半。ドイツ中西部にある人口1万2千人の町ハダマーには、今も当時の施設が残されている。
 駅から坂を上った丘の中腹に精神科病院の建物が立っている。その一角が、ナチスの安楽死計画の記念館だ。シュルト館長が解説した。「ここは19世紀末からの精神科病院。第2次大戦が始まった1939年には軍の病院になった。別の安楽死施設の閉鎖を受けて、40年末から計画の中心的な施設になった」

取材 佐藤倫之、木下悟、丹村智子、国分健史 写真 菊地俊哉、岡部拓也 デザイン 下川光二、大串誠寿 ウェブ制作 矢野由香(西日本新聞メディアラボ)