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九州大生体解剖事件

 1945年5月、熊本、大分県境付近で米軍機B29が日本軍機の攻撃を受け墜落。捕虜となった搭乗員のうち8人に、九州帝国大の教授らが西部軍の立ち会いの下で実験手術を施し、全員を死亡させた。片肺を切除しても生きられるか、代用血液として海水は有効か-などの確認が目的だったとされる。執刀した第1外科教授は収監中に「一切軍ノ命令ナリ、責任ハ余ニアリ」との遺書を書き自殺。48年の横浜軍事裁判で西部軍関係者9人と九大関係者14人が絞首刑や終身刑、重労働などの有罪判決を受けた。50年の朝鮮戦争発生に絡む恩赦で減刑され、死刑になった者はいない。

2017年12月16日更新

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 太平洋戦争末期に九州帝国大(現九州大)医学部で起きた米国人捕虜に対する生体解剖事件に関わった医師、東野(とうの)利夫さん(91)=福岡市中央区=が、事件やその後の歩みを振り返った自伝を自費出版した。タイトルは「戦争とは敵も味方もなく、悲惨と愚劣以外の何物でもない」。戦後、捕虜たちの同僚だった米国人の退役軍人に会って謝罪した際、2人で分かち合った結論という。東野さんは「戦争を知らない世代に手にとってもらえれば」と話している。

 事件は1945年5~6月に起きた。熊本、大分両県境に墜落した米軍機B29の搭乗員8人に対し、同大教授ら医師が4回に分けて実験手術をし、解剖。医学生だった東野さんはうち2回を手伝い、医師ら23人が有罪判決を受けた横浜軍事裁判では、検察側証人として証言台に立った。事件は故遠藤周作氏の小説「海と毒薬」のモデルとなった。

 東野さんは入学直後で事情を知らなかったとして罪に問われず、勤務医を経て60年に産婦人科医院を開業。年数百件の出産に立ち会う一方、捕虜の感触や手術の光景などがよみがえり、不眠やうつに悩まされた。

 「医の倫理を踏み外した経験が影響している」と感じ、40歳から自らの罪に向き合い始めた。裁判資料を調べ、元教授やB29墜落現場の住民たちの証言を集めて79年に「汚名『九大生体解剖事件』の真相」(文芸春秋)として刊行した。

 自伝には、幼少期の体験や事件への関わりに加え、搭乗員の中でただ一人生きて帰国した元機長マービン・ワトキンズさんを捜し、80年に米国で対面した際のやりとりも掲載。ワトキンズさんも日本への空襲に参加したことを戦後も人に語れず「人生で一番苦しい体験だった」と振り返った様子が描かれている。

 東野さんは、医療現場を離れた今も事件を思い出さない日はなく、心の不調は続いているが、体力維持に効果があったとして散歩方法も紹介している。

 核開発問題を巡って米国と北朝鮮の指導者が「言葉による脅し合い」を続けていることを憂慮し、東野さんは「最後の仕事のつもりで記した」と語る。「戦争は勝者も敗者も大きな傷を負うことを知ってほしい」

 自伝の出版元は文芸社=03(5369)3060。四六判152ページ、1404円。

 【ワードBOX】九州大生体解剖事件

 1945年5月、熊本、大分県境付近で米軍機B29が日本軍機の攻撃を受け墜落。捕虜となった搭乗員のうち8人に、九州帝国大の教授らが西部軍の立ち会いの下で実験手術を施し、全員を死亡させた。片肺を切除しても生きられるか、代用血液として海水は有効か-などの確認が目的だったとされる。執刀した第1外科教授は収監中に「一切軍ノ命令ナリ、責任ハ余ニアリ」との遺書を書き自殺。48年の横浜軍事裁判で西部軍関係者9人と九大関係者14人が絞首刑や終身刑、重労働などの有罪判決を受けた。50年の朝鮮戦争発生に絡む恩赦で減刑され、死刑になった者はいない。


=2017/12/16付 西日本新聞夕刊=

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