“最も短命”な「幻の福岡県宇島市」 わずか4日で改名 何があった? 福岡県

現在の豊前市中心部。手前が八屋地区で、奥の海側が宇島地区。両地区合わせて中心市街地を形成している
現在の豊前市中心部。手前が八屋地区で、奥の海側が宇島地区。両地区合わせて中心市街地を形成している
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合併前年の1954年9月、県に提出された「市町村廃置分合申請書」の表紙には「福岡県宇島市」とある
合併前年の1954年9月、県に提出された「市町村廃置分合申請書」の表紙には「福岡県宇島市」とある
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 1955年、今の豊前市の名前がわずか4日間だけ「宇島市」だったことをご存じだろうか。宇島市は「昭和以降、市名としては最も短命」(総務省市町村課)。2番目の徳島県鳴南市(現・鳴門市)が61日間なだけに短さが際立つ。豊前市で61年前、何があったのか。

 宇島市が存在したのは、築上郡中部の9町村が合併して市制施行した55年4月10日から同13日まで。14日には豊前市に名称を変えている。その謎を解くため、手にしたのは同市が91年に発行した「豊前市史」だ。

 市史によると、事の発端は戦前の35年にさかのぼる。当時、旧宿場町で早くから発展していた旧八屋町が、石炭積み出し港の宇島港のある旧宇島町を編入合併した。旧八屋町は存続し、自治体名から「宇島」が消滅することになる。

 ところが54年9月、旧八屋町と近隣8村の合併のために設置された新市建設協議会が、国鉄(現JR)日豊線宇島駅や宇島港の知名度から新市の名前を宇島市と決めた。

 これに反発したのが八屋地区住民だ。35年合併以前の八屋町域だけ新市に加わらない「分町」を主張、八屋、宇島両地区が対立する事態に陥った。

 当時、旧八屋町職員で、協議会事務局が置かれた同町総務課勤務だった畑憲一さん(81)は振り返る。「住民が農協に『八屋町役場』と書いた看板を掲げ分町をアピールしたり、八屋、宇島双方の住民がデモ行進したり。八屋の銭湯に行くと『役場のスパイが来た』といわれました」

 当時から八屋地区に住む豊前市教育委員会の戸田章教育長(72)は「両地区は今も4~5月にそれぞれが祇園祭をやって競い合うほど。ライバル意識は今より強かった」と話す。

 しかし、深刻な町内対立に不信感を募らせた2村が合併不参加を表明するに至り、八屋の住民側が態度を軟化。「一応『宇島市』として発足するが(中略)『宇島市』『八屋市』『築上市』のいずれでもない市名に変更する」(豊前市史)条件で合併を了承、予定から4カ月以上遅れて宇島市が誕生した。その翌日の初めての市議会で「豊前市」への改名条例案を可決。わずか4日で宇島市は豊前市に名称を変えた-。これが「幻の宇島市」の経緯だ。

 そんな豊前市は24日、市内にある東九州自動車道の未開通区間が開通、「素通り」を防ぐための対策が待ったなしだ。

 八屋出身で現在、宇島に住む畑さんはいう。「いろいろあったが、最終的には合併できた。(歴史を教訓に)今後も全市民が手を携え、市を盛り上げていかないと」

この記事は2016年04月15日付で、内容は当時のものです。

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